寿司業界は今、回転寿司チェーンと高級店の二極化が進んでいます。その中で、確かな品質と手頃な価格帯で独自の地位を築く「町寿司」があります。2024年に創業100周年を迎えた築地玉寿司は、回転寿司とは一線を画し、プチ贅沢戦略で活路を見出しています。2025年2月20日放送(テレビ東京系)の「カンブリア宮殿」では、四代目社長・中野里陽平氏が語る、老舗町寿司の経営哲学に迫りました。
築地玉寿司が実践する町寿司の生き残り戦略とは
築地玉寿司の中野里陽平社長は「寿司は絶対に回さない」という信念を持っています。しかし、これは回転寿司への否定的な感情からではありません。「町寿司」として、旬の魚を提供し、板前との会話を楽しみながら、気軽に贅沢な時間を過ごせる空間を大切にしているからです。
現在、都内を中心に31店舗を展開する築地玉寿司。その強みは、高級店ほど高額ではなく、回転寿司とは異なる品質とサービスを提供することで、独自のポジションを確立している点にあります。
築地発祥の町寿司「玉寿司」100年の歴史
1924年、中野里氏の祖父・栄蔵氏が築地で創業。東京大空襲で店は焼失しましたが、祖母のことさんが女手一つで再建。当時、板前不足の中、自ら寿司を握り店を守り抜きました。
高度経済成長期には、3代目の父・孝正氏が改革を断行。1971年の銀座コアビル出店を皮切りに、40円均一の明朗会計を導入し、今では当たり前となった末広がりの手巻き寿司を考案。寿司の大衆化に貢献しました。
中野里陽平社長が掲げる3つのプチ贅沢戦略
中野里社長は、「身近なプチ贅沢で笑顔を増やしたい」という想いから、3つの戦略を展開しています。
1つ目は「格安で美味しいネタの提供」。北大西洋アイルランド産の本マグロなど、質の良い食材を適正価格で仕入れることで実現しています。静岡県の水産会社や沼津の卸会社と連携し、全国各地から新鮮な魚介を調達。
2つ目は「時間を気にせず食べ放題」。みなとみらい店では、時間無制限の食べ放題を実施。気兼ねなく贅沢な時間を楽しめると好評です。
3つ目は「贅を尽くした出前出張サービス」。4人以上から利用可能な出張寿司屋台サービスを展開。1人11,000円からと、本格的な寿司をご自宅で楽しめます。
78億円の負債から再建へ~「捨て石」と「要石」の経営判断
2000年頃、玉寿司は売上の2倍近い78億円の負債を抱えていました。バブル期の不動産投資が裏目に出たのです。この危機に際し、父・孝正氏は「捨て石」と「要石」を見極める決断を下します。
個人財産と名誉を「捨て石」とし、本社や自宅を手放し社長も退任。中野里氏は32歳で社長に就任し、年間利益を2,000万円から1億5,000万円に引き上げるという難題に挑戦することになりました。
イクスピアリ出店とフクロウが導いた奇跡の再生
再建の転機となったのが、東京ディズニーリゾート内の商業施設イクスピアリへの出店です。銀行から反対される中、中野里社長は個人保証をしてまで出店を決断。開店前に”フクロウ”が飛来するという縁起の良い出来事もあり、予想の2.5倍の売上を記録。これを起点に、10年かけて借金を完済しました。
未来を見据えた「玉壽司大学」での人材育成戦略
職人不足という業界課題に対し、築地玉寿司は独自の取り組みを行っています。社内に設立した「玉壽司大学」では、通常3年かかる技術習得を3ヶ月に集約。ダンスやウォーキングも取り入れた独自のプログラムで、次世代の職人を育成しています。
まとめ
築地玉寿司は、「町寿司」という立ち位置を明確にし、プチ贅沢戦略で差別化を図ることで、二極化する寿司業界で独自の存在感を示しています。100年の歴史で培った技術と経験を活かしながら、時代に合わせた革新も怠らない。その姿勢こそが、長年愛され続ける理由といえるでしょう。
※本記事は、2025年2月20日放送(テレビ東京系)の「カンブリア宮殿」を参照しています。
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