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【クローズアップ現代】オウム真理教の子どもたち「隠し続けてきた苦しみ」当事者たちの声

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2025年3月18日、NHK「クローズアップ現代」で放送された「オウム真理教の子どもたち 知られざる30年」。地下鉄サリン事件から30年が経過した今、教団施設から保護された子どもたちの声に初めて光が当てられました。この記事では、番組内容を紹介しながら、オウム真理教の子どもたちが背負ってきた苦悩と、社会が彼らにできる支援について考えます。

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オウム真理教の子どもたち30年の軌跡 – 知られざる苦悩と現在

1995年の地下鉄サリン事件から30年。オウム真理教の強制捜査が行われた際、全国の教団施設から112人の子どもたちが行政により保護されました。しかし、その後の彼らの人生について、社会はほとんど知ることがありませんでした。

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1995年3月20日に発生した地下鉄サリン事件の様子

 

「クローズアップ現代」の取材班は、児童相談所の記録や施設内部の写真など3000点あまりの資料を独自に入手。さらに、当時教団にいた子どもたちへの取材を通じて、彼らが歩んできた「知られざる30年」の実態に迫りました。

番組に登場した「加奈さん」(仮名)は、5歳から6年間を教団で過ごし、今回初めて取材に応じました。彼女の言葉「ずっと隠すことに一生懸命になってきた、”苦しいよ”って」は、多くの当事者が抱える心の葛藤を象徴しています。

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「現世」と呼ばれた外の世界 – 教団施設から保護された112人の子どもたち

オウム真理教の教えでは、教団の外の世界を「現世」と呼び、否定的に扱っていました。加奈さんは「外から攻撃されるとか、毒ガスがとか、外に出てはいけなかった」と証言しています。「一般的な生活をしていること自体が悪なんだっていう洗脳に近い」状態で子どもたちは育ちました。

当時山梨県警として現場に入った元警察官の花形友夫さんは、子どもたちが暮らしていた環境について「悪臭がするんですよ。垢の匂いとかゴミの匂いとかそういうのが入り混じって」と振り返ります。警察による強制捜査後、子どもたちは保護され、山梨県では53人が児童相談所に移されました。

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児童相談所元職員の保坂三雄さん

児童相談所の元職員である保坂三雄さんによると、保護された子どもたちは全員が顔色不良で、医師による即時の診察が必要な状態でした。ある子どもは目を開けるとすぐに「ここは現世?」と尋ね、保坂さんが頭を撫でると「触るな」と拒否したといいます。教団では、頭に触れることができるのは教祖だけとされていたのです。

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児童相談所の記録が語る衝撃の実態 – 劣悪な環境と教義に染まった心

番組取材班が山梨県への情報公開請求で入手した児童相談所の資料2800点には、子どもたちの心身の状態を記録したメモや日記が含まれていました。そこには衝撃的な記述が並んでいます。

「修行で身についたものが落ちてしまうから手や顔は洗わない」 「カビが生えても食べなければならない」 「食べ物には尊師のエネルギーが入っているので捨てることはできない」

子どもたちが書いた日記からは、教団の外に向けられる敵意も読み取れました。「でっち上げもいい加減にしろ」「早くオウムに帰せ」といった言葉からは、教団の教えがいかに深く刷り込まれていたかがうかがえます。

保坂さんは「本当に別の世界から来た子どもたち、この子どもたちに我々はどうか関わって行ったらいいのかという風なことで、戸惑いもかなりありました」と当時の困惑を語っています。

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教祖逮捕後の心の変化 – 小さくなった子どもたちの絵が示す混乱

一時保護から1ヶ月後の1995年5月16日、オウム真理教の代表・麻原彰晃(松本智津夫)容疑者が殺人の疑いで逮捕されました。この出来事は子どもたちに大きな心理的影響を与えました。

番組では、加奈さんが児童相談所で描いた絵が紹介されました。4月に描いた絵よりも5月に描いた絵の方が明らかに小さくなっていました。当時、絵を分析した精神科医の藤原茂樹さんは「大きくてはっきりとした絵っていうのは、自分を投影してるわけなんですけど、尊敬する人それを失ってしまうと、虫のようなちっちゃな自己。混乱、失望。これから先どうしようとか」と解説しています。

加奈さん自身も「自分が生活してきた、自分が育ってきた環境が壊れていくことへのショック。敵だと教わってたものが教祖とかを逮捕していて、陰謀だと思いつつ、あ、世の中的にはこういう感じなんだな」と当時の心境を振り返りました。

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中断された国の研究 – 専門家が指摘する「長期的支援の必要性」

子どもたちの心身の健康回復のため、当時国は専門家を集めて研究を進めていました。研究班メンバーの一人だった小児精神科医の奥山眞紀子さん(現・山梨県立大大学院特任教授)は「カルトの中にいた子どもたちがその後社会に出てどうなっていくのか、どんな困難を抱えて、どんな支援をしたらいいんだろう」と考えていたと語ります。

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小児精神科医の奧山眞紀子氏                          (引用:「クローズアップ現代」より)

報告書には「特異な生活体験が人格形成にどのような影響を与えたかは今後さらにフォローしていかなければならない問題」と記されていましたが、この研究は2年で終了してしまいました。奥山さんは「なぜ終わったのかもわからない。これでいいの?という思いはすごくありました」と語り、「社会として怠ってしまった」と振り返っています。

山梨県で一時保護された53人の子どもたちは、3ヶ月後には全員が児童相談所を離れ、親元や養護施設などに移されました。注目すべきは、オウム真理教を離れた大人の信者に対しては地方自治体による就労生活支援などの相談窓口が設置されたのに対し、子どもたちに対してはそのような相談窓口が設けられなかったことです。

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当事者たちの声 – 30年間抱え続けた心の葛藤と「隠す苦しみ」

番組では加奈さんの他にも、教団で過ごした経験を持つ「健一さん」(仮名)と「歩さん」(仮名)の声も紹介されました。現在40代の健一さんは、自分の過去を周囲に話せず、家族にさえオウムのことを話していません。「本当の過去を一生明かせないっていう十字架を抱えながらずっと生きてる」と語ります。

一方、歩さんは今もオウムの教えを信じているといい、地下鉄サリン事件については「現代社会においては大きな事件でしょう。痛ましいけれどまあ起こりうることの1つ」と述べ、「内心で言うと腑にはちゃんと落ちてはいない」と語りました。

加奈さんは、児童相談所を出た後、学校でオウムから来たことは言わないよう言われ、現世で生きていくために「現世の情報いっぱい入れなきゃいけなくて」一般人になろうとしたものの、「それって教義と反することじゃないですか、それの葛藤みたいなもので本当に荒れた」と振り返ります。自分をオウムに連れて行った母親との関係も悪化し、周囲に相談できる人もいなかったため、自分の腕を切るなど自傷行為に至ったといいます。

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西澤哲教授が語る支援の在り方 – 「今からでも遅くない」子どもたちへの対応

番組では山梨県立大学人間福祉学部教授の西澤哲氏が、オウム真理教が子どもたちに与えた影響について解説しました。西澤教授は「今日での目から見れば虐待と言っていい」とし、親子の分離や不衛生な環境、食べ物の問題、学校に通わせないことなどを「ネグレクト(養育放棄)」と表現。さらに「修行と称しての体罰」による身体的虐待も加わっていたと指摘しました。

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山梨県立大学人間福祉学部教授の西澤哲教授

西澤教授は現世否定といった価値観の植え付けが、教祖の逮捕や地下鉄サリン事件の経緯が明らかになる中で、「心が引き裂かれる」精神的ショックを与え、「トラウマ性の反応」があったと分析しています。

支援については「1995年であることを差し引いても十分だったとは到底思えない」と述べ、今からでも遅くないと強調しました。「自分の過去を隠して生きていかなければならないのはとても辛いこと」であり、「自己というのは過去現在未来と繋がっていく1つの物語のようなもの」であるため、それが編めないと自己が非常に不安定になると解説しています。

西澤教授は「当時の子どもたちが30年どう生きてきたのか、どんな苦悩や生きづらさを抱えているのかをしっかり調査した上で、今からでも遅くないので支援の仕組みを作ることが必要」と提言。また「セルフヘルプグループ(自助集団)」など、同じ体験をした人たちが思いを共有する支援のあり方も提案しました。

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まとめ – オウム真理教の子どもたちの支援に社会が果たすべき役割

地下鉄サリン事件から30年、オウム真理教の施設で育った子どもたちの多くは、今も心の傷を抱えながら生活しています。番組キャスターの桑子真帆さんは「この30年、声に向き合ってこなかったこの社会の責任を重く受け止めないといけない」と述べました。

一方で、番組終盤では、加奈さんが30年ぶりに当時の児童相談所職員・保坂さんと再会する場面も描かれました。働きながら3人の子どもを育てていると伝えた加奈さんは「元気にやってるところを伝えられたのが良かった」と語り、「私もオウムの子どもだった。そういうことがずっと続いてるんだって言うのは忘れないで欲しい」とメッセージを残しました。

西澤教授が指摘するように、「気づいた時からやるべき」支援の取り組みは、決して遅すぎることはありません。社会全体が彼らの存在を意識し、必要な支援の仕組みを整えることが、今求められています。30年前に保護された子どもたちは今、大人になり、中には親になった人もいます。彼らの声に耳を傾け、必要な支援を行うことは、社会が果たすべき責任であり、未来に向けた癒しの第一歩なのではないでしょうか。

※本記事は、2025年3月18日放送のNHK「クローズアップ現代」を参照しています。

今回取材に答えた子供たちが語った内容についてはこちら

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