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【クローズアップ現代】明治人・賀川滋子「114歳最後の証言」戦争と社会進出の記録

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2025年9月16日放送のNHK「クローズアップ現代」をご覧になって、明治人・賀川滋子さんの貴重な証言についてもっと詳しく知りたいと思われていませんか?この記事では、114歳の賀川滋子さんが語った戦争体験や女性社会進出の記録、さらに磯田道史教授や天野隆子さんの専門解説まで、番組では伝えきれなかった深い内容をお伝えします。最後の明治人たちが残してくれた貴重なメッセージを通じて、現代を生きる私たちが学ぶべき歴史の教訓と、未来への示唆を発見していただけます。

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明治人・賀川滋子とは?114歳が語る5つの時代の記憶

2025年9月16日放送のNHK「クローズアップ現代」では、明治から令和まで5つの時代を生き抜いた貴重な証言者たちが紹介されました。その中でも特に注目されたのが、114歳の賀川滋子さんです。賀川さんは1911年(明治44年)5月28日生まれで、2025年7月29日に国内最高齢者となった奈良県大和郡山市在住の女性医師です。

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114歳の賀川滋子さん                               (引用:「クローズアップ現代」より)

番組での取材によると、全国で確認できた明治生まれの方はわずか5人。そのうち沖縄の喜友名靜子さん(明治45年生、113歳)は番組放送の2日前にお亡くなりになったため、まさに最後の明治人たちの生の声を記録した貴重な番組となりました。

クローズアップ現代で明かされた賀川滋子の生涯

賀川滋子さんの人生は、まさに激動の日本近現代史そのものです。江戸時代から続く医者の家に生まれ、1934年に大阪女子高等医学専門学校(現:関西医科大学)を卒業。産婦人科・内科医として80歳を超えても現役で活動し、地域医療を支え続けました。

特筆すべきは、2021年の東京オリンピックでは109歳という高齢で聖火リレーのランナーを務めたことです。現在も週3日のデイサービスに通い、毎日新聞を読み、書道を楽しむという規則正しい生活を送っています。彼女の長寿の秘訣について「特にない」としながらも、「往診で昔からたくさん歩いていたのが今の元気の源」と語っています。

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大正時代の女性社会進出「医師を目指した22歳の決意」

賀川さんが医師になったのは22歳の時。1920年代という、まだ女性の医師が珍しかった時代のことでした。この時期は欧米で活発化した女性解放の議論が日本でも広がり、教師や看護師、事務員といった仕事を中心に「職業婦人」が増加していた時代です。

女性医師への困難な道のり

1928年に西日本で初となる女子高等医学専門学校が大阪に開校し、賀川さんはその二期生として入学しました。しかし、当時の女性医師を取り巻く環境は決して恵まれたものではありませんでした。

賀川さんは当時を振り返り、「その時分は世間からも珍しがられ変わり者と思われ、電車の中でもそんな学校はやめて良いお嫁さんになられた方がよろしいのにとか、異様な目で見られました」と語っています。また、医学校での解剖実習では、死体を薬液に浸ける強い臭いが体に付き、電車で隣に座った人が逃げてしまうこともあったといいます。

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順天堂大学の坂井建雄教授                      (引用:「順天堂大学」HPより)

医史学の専門家である順天堂大学の坂井建雄教授は、当時の状況について「女性に活躍してほしいという強い願いよりも、むしろ男性の医師に対する補助的な役割として女性の医師を見ていた」と分析しています。新しい価値観と伝統的な価値観が併存する「まだら」のような時代だったのです。

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戦争体験が語る昭和の記憶「飛行機から機銃掃射まで」

賀川さんの人生で特に印象深い体験の一つが、8歳の時に奈良の練兵場で目撃した飛行機です。1919年のことで、ライト兄弟の初飛行から10年あまりが経った頃でした。

8歳で見た飛行機と戦争への転換点

「人間が飛行機にのって、空飛ばはる。奈良の練兵場、あそこ大勢見に行かはった。私も行った」と語る賀川さん。当時の飛行機は「羽根が2つ、真ん中に人が乗る」という複葉機で、「えらいもんできたな、びっくりした」という驚きの声が印象的です。

日本航空協会の堤宇叶さんによると、1919年は陸軍が航空部隊を増やしていた年で、第一次世界大戦での航空戦の教訓を受けて陸軍が航空部という組織を作った時期でした。賀川さんが目撃したのは、まさに日本の軍用航空の発展の瞬間だったのです。

太平洋戦争中、医師8年目の賀川さんは大和郡山で数少ない医師の一人として地域医療を支えました。アメリカとの戦争で軍医として取られた医師が多い中、「大和郡山では私と男の年のいった人と(医師が)2人しかいない」状況で、怪我の縫合から目の治療まで、あらゆる医療行為を担当したといいます。

戦争末期には、自宅近くでアメリカ軍戦闘機による機銃掃射を体験。「屋根の上スレスレに、飛行機、ガーッってえらい音。怖いさかい、お客さん一人来て玄関にいはる、奥の部屋へ」と身を隠し、事後に屋根に上がると「こんな弾がいっぱい落ちていた」という生々しい証言を残しています。

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西洋文化との出会い「カレーライスと洋服への憧れ」

賀川さんの青春時代は、日本と西洋の文化がじわじわと混じり合っていた大正から昭和初期でした。番組では、23歳頃の洋装写真が紹介され、当時の文化変容の様子が描かれています。

大正ロマンを体現した生活様式

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時代考証家の天野隆子さん                     (引用:「クローズアップ現代」より)

天野隆子さん(時代考証家)は、賀川さんの洋装写真について「帽子と、スカーフと、上着と、多分靴もでしょうけど、全部セットで、きっちり決めてらっしゃいますね。これはすごいことだと思います」と評価しています。しかし同時に「崩せなかった」とも指摘。当時の洋装は「全て真似、真似から入った」ものであり、普段着のような崩した着方ができない特別なものだったのです。

昭和6年、20歳で医学生だった賀川さんは初めてカレーライスと出会います。それまで上流階級の味だったカレーが庶民の食卓に並ぶようになったのは、面白いエピソードがありました。ある業者がイギリスのC&Bの空き缶に国産のカレー粉を詰めて売ったところ、「国産でも十分いける」と高評価を得て、国産カレーが広まったというのです。ただし、賀川さんの初カレーの感想は「辛うて口に合へんかった」というまさかの辛口評価でした。

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国際日本文化研究センターの磯田道史教授                    (引用:「NHK」より)

磯田道史教授は、この時代の空気感について「新しい時代っていきなり来ませんね。まだらにやってくる」と表現し、「外国から来るものへの憧れ、舶来品への憧れ」から「国産のメイドインジャパンへ」という日本の近代化のキャッチアップの動きがあったと分析しています。

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天野隆子と磯田道史が解説する明治人の価値

番組には、時代考証家として「おしん」から「あんぱん」まで数々の名作を手がけた天野隆子さんと、日本近世近代史の第一人者である磯田道史教授(国際日本文化研究センター)が出演しました。

歴史専門家が注目する庶民の記憶

磯田教授は、市井の明治人の証言の価値について「普通の人の言葉ってあまり残ってないんですよ。特に重要なのが、意識が残るってことですね」と強調しています。外形的な歴史は分かっても、「初めて水道が来た時、初めて水洗トイレを使った時、どう思ったか、どうしようとしたか」という心の内面が見えてくることの貴重さを語りました。

天野さんは、賀川さんの飛行機目撃証言について、2014年放送の「花子とアン」のシーンと重ね合わせながら、「技術が、これから平和に使われるのか、戦争に使われるのか、これはちょうどその分かれ目だった」と振り返っています。

磯田教授は最後に、明治人から令和を生きる私たちへのメッセージとして、「明治人、最後の明治人っていうのは大正期に育てられていて。まだ江戸文明の影響があるんですよね」と指摘。損得勘定を超えた寛容さや余裕、道楽、楽しさといった価値観を知っている貴重な存在であり、「日本の宝みたいな記憶の時間を持ってる人たち」と評価しています。

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まとめ

2025年9月16日放送の「クローズアップ現代」で紹介された明治人たちの証言は、教科書では学べない庶民の視点から見た近現代史の貴重な記録でした。特に賀川滋子さんの114年にわたる人生は、女性の社会進出、西洋文化の受容、戦争体験という日本の近現代史の重要なテーマを体現しています。

磯田道史教授や天野隆子さんといった専門家の解説により、これらの証言がいかに貴重で、現代の私たちにとって重要な意味を持つかが明らかになりました。最後の明治人たちが残してくれたメッセージを、私たちは真摯に受け止め、未来へと継承していく責任があるのです。

※ 本記事は、2025年9月16日放送のNHK「クローズアップ現代」を参照しています。

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