BSテレ東「夢遺産」で放送されたニチコン森克彦社長のインタビューから、成功する経営者の本質的な考え方を学びたいと思いませんか?この記事では、幼少期の壮大な夢から34年間のニチコン勤務、16年半の海外赴任を経て社長に就任するまでの軌跡を詳しく解説します。森社長が語った「感謝と恩返し」の精神や、失敗を糧にする姿勢、未来に残したい夢など、具体的なエピソードとともにお伝えします。読み終えた後、あなたも困難を乗り越える力と、人を大切にする経営哲学のヒントが得られることでしょう。
ニチコン森克彦社長が夢遺産で語った人生哲学とは
2025年9月26日にBSテレ東で放送された「夢遺産」で、ニチコン代表取締役社長の森克彦氏が自身の人生哲学を赤裸々に語りました。コンデンサや家庭用蓄電システムの開発・製造・販売を手がけるニチコンのトップとして、彼が一貫して大切にしているのは「感謝と恩返し」の精神です。
番組の中で森社長は、「話もらった時に、もうパッと思い付いたのはもう感謝の気持ちだったんですよね」と社長就任時の心境を振り返りました。この言葉からは、単なる昇進への喜びではなく、これまで支えてくれた全ての人々への深い感謝の念が伝わってきます。現在57歳の森社長にとって、社長という重責は決してゴールではなく、恩返しのスタート地点なのです。
特に印象的だったのは、「いろんな経験させてもらった中で、自分が今あると、いう中で、言葉は、おかしいかもしれないですが、ちょっと恩返ししたいなっていうのが、その時の、正直な気持ちです」という発言でした。この謙虚さと使命感こそが、森社長の人生哲学の根幹にあるものだと感じられました。
幼少期の壮大な夢「橋をかけたい」から物作りの道へ
森克彦社長の物作りへの情熱は、幼少期から芽生えていました。番組で語られた子供時代の夢は実にスケールの大きなものでした。「物を作るのがすごく好きだったのが、ちょっと一つありまして、日本から韓国だとか中国だとか、まあ、遠いとこだったらハワイだとか、あの橋かけられたらいいなとかって勝手に思ってまして」という言葉からは、純粋で壮大な子供らしい発想が伝わってきます。
この「橋をかけたい」という夢は、単なる建設への憧れではなく、異なる場所や文化を繋ぐという深い意味を持っていたのかもしれません。実際、後の海外赴任での経験を考えると、まさに日本と海外を繋ぐ「橋渡し役」を果たすことになったのですから、子供時代の夢は形を変えて実現されたとも言えるでしょう。
就職活動では迷いがありませんでした。「物を作るっていう会社っていうのは、あの頭の中に元々からありまして、その銀行とかそういう金融系を全く考えてなくって、就職するならもうメーカー」と明確にメーカー志向を貫いた森社長。1991年、同志社大学経済学部卒業と同時にニチコンに入社したこの決断が、現在の彼の礎となっているのです。
ニチコン入社時の失敗体験と16年半の海外赴任が与えた影響
1991年のニチコン入社直後、森社長は厳しい現実に直面しました。「赴任しても1週間後にもう担当持たされたんです。とにかく失敗もいっぱい、いっぱいしましたですね」という振り返りからは、新人時代の苦労が伝わってきます。しかし、彼はこの経験を決して負の遺産とは捉えていません。「その時の経験っていうのはちょっと、あの、自分にとってあの今でも大きいかなとは思ってます」と語るように、失敗を糧として成長していく姿勢こそが、後の成功への基盤となったのです。
転機となったのは36歳の時の海外赴任でした。2004年から始まった海外での16年半という長期間は、森社長の人生観を大きく変えることになります。最初はニチコン台湾での勤務から始まり、2011年には董事長(会長)に就任、2014年からは中華圏営業統括として香港を拠点に活動しました。
この海外経験で最も大きな学びとなったのは、人間の普遍性でした。「文化は違うけど、同じかなと。きっちりこう対応すれば感謝もいただけますし、ま、信頼も得られるっていう、ま、そういったその人間の基本的なそのところは同じなのかなっていうのは、あの、すごく感じました」という言葉は、国際的なビジネス経験を通じて得た深い洞察を表しています。
この16年半の海外経験は、単なる業務経験を超えて、森社長の経営哲学の形成に大きな影響を与えました。異文化の中で培った柔軟性と、人間関係の本質を見抜く力は、現在の経営スタイルにも大きく反映されているのです。
森克彦社長就任への想い「恩返ししたい」の真意
2020年7月に執行役員・コンデンサ事業本部長に就任した森社長は、会社全体を俯瞰する立場を経験しました。「工場系だとか技術だとか全部ちょっと見なきゃいけないっていう中で、ま、ただま全体を俯瞰して見れたってことは、ま、今の、あの、自分に繋がってるかなと思ってます」と語るように、この経験が社長就任への準備期間となったのです。
そして2023年6月29日、10年ぶりの社長交代により、森克彦氏が代表取締役社長に就任しました。この時の心境について「話もらった時に、もうパッと思い付いたのはもう感謝の気持ちだったんですよね」という言葉からは、昇進への単純な喜びではなく、これまでの道のりへの深い感謝が込められています。
「恩返ししたい」という想いの真意は、個人的な感謝にとどまらず、会社全体、そして社会への責任感に基づいています。34年間のニチコン勤務の中で、多くの人々に支えられて成長してきた自分だからこそ、今度は自分が会社と社員を支える番だという強い使命感を感じているのです。
現在、ニチコンは「Vision2025」という中期成長目標を掲げており、2025年度には連結売上高2000億円、連結営業利益率10%以上を目指しています。森社長の「恩返し」は、この具体的な目標達成を通じて実現されていくことでしょう。
未来に残したい夢:企業風土と技術継承への想い
森克彦社長が描く未来への夢は、短期的な業績向上を超えた、より本質的で持続可能なビジョンです。「(企業)風土だとか、あの、技術の継承を、ま、未来に、あの、つなげていきたい。会社自身が皆さんに愛されるようなところに、向かって行きたいなと思ってます」という言葉からは、長期的な視点に立った経営哲学が読み取れます。
企業風土の継承とは、単なる社内ルールの維持ではありません。ニチコンが75年にわたって培ってきた「考働」(考えて働くという同社の造語)の精神や、品質へのこだわり、そして顧客第一の姿勢といった無形の資産を次世代に引き継ぐことを意味しています。これらは一朝一夕に築けるものではなく、森社長自身が34年間かけて体感してきた価値そのものなのです。
技術継承についても、コンデンサ事業とNECST(Nichicon Energy Control System Technology)事業という二本柱を支える技術力の維持・発展が重要です。特に環境・エネルギー分野では技術革新のスピードが速く、継承だけでなく進化も同時に求められる難しい課題です。
そして最も印象的なのが「皆さんに愛されるような会社」という表現です。これは単なる理想論ではなく、ESG経営やSDGsへの取り組みが企業価値を左右する現代において、極めて現実的かつ戦略的な目標設定だと言えるでしょう。ナレーターが「未来永劫愛される企業へ。これが森さんの夢遺産」と締めくくったのも、この言葉の重みを理解してのことだったのではないでしょうか。
まとめ
BSテレ東「夢遺産」で紹介されたニチコン森克彦社長の人生は、幼少期の壮大な夢から始まり、失敗を糧とした成長、16年半の海外経験を経て、感謝と恩返しの精神に基づく経営哲学へと昇華された軌跡でした。
1968年生まれの森社長が歩んできた57年間は、決して順風満帆ではありませんでした。入社1週間で担当を持たされた新人時代の失敗、36歳から始まった長期海外赴任の苦労、そして2023年の社長就任という重責。しかし、それぞれの経験を前向きに捉え、自分の成長の糧として活かしてきた姿勢こそが、現在の森社長の魅力の源泉なのです。
「恩返ししたい」という純粋な想いから出発した森社長の経営は、企業風土と技術の継承、そして愛される企業づくりという具体的な目標に結実しています。これは単なる美辞麗句ではなく、34年間のニチコン勤務で培った深い理解と愛社精神に基づく、実現可能な夢遺産なのです。
物作りへの情熱から始まった森社長の人生が、今度は人づくり、会社づくりへと発展していく姿は、多くのビジネスパーソンにとって示唆に富む物語と言えるでしょう。
※ 本記事は、2025年9月26日にBSテレ東で放送された「夢遺産」を参照しています。
※ ニチコン株式会社の公式サイトはこちら
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