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【カンブリア宮殿】箔一・浅野達也「金箔革命」の全貌を徹底解説

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2025年12月4日放送のカンブリア宮殿で特集された箔一の浅野達也社長。衰退する金箔業界で、なぜ箔一だけが急成長できたのか?本記事では、番組内容を詳しく分析し、母・浅野邦子から受け継いだ「金箔革命」の秘密、レクサスや九州新幹線への採用事例、そして伝統産業が生き残るための具体的戦略まで徹底解説します。この記事を読めば、日本の伝統産業が直面する課題と、その解決のヒントが見えてきます。


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箔一・浅野達也社長とは?金箔業界に起こした「革命」の実態

金沢に本社を構える箔一は、創業50年を迎える金箔メーカーです。二代目社長の浅野達也氏(57歳)は、衰退の一途をたどる金箔業界において、従来の常識を覆す革新的なビジネスモデルを確立しました。

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箔一の浅野達也社長                                   (引用:「カンブリア宮殿」より)

日本の金箔製造は現在ほぼ100%が金沢で行われていますが、仏具や伝統工芸品の需要減少により、生産量はこの30年で約20分の1にまで激減しています。さらにバブル期と比較すると、生産額はピーク時の10分の1という厳しい状況です。

そんな逆境の中、箔一が成功している理由は明確です。それは「金箔を仏壇から日常へ」という発想の転換にあります。浅野社長が推進する「金箔革命」とは、金箔を特別なものから身近なものへと変革させる取り組みなのです。

現在、箔一はトヨタの高級車レクサス、九州新幹線、イギリスの老舗スーツケースブランド・グローブ・トロッター、ヤマハの銀座ビル壁面など、従来の金箔業界では考えられなかった分野に次々と進出しています。年間100種類もの新商品を開発し続ける姿勢は、まさに「革命」と呼ぶにふさわしいものです。

浅野社長の経営哲学には一本の芯が通っています。それは「いいものをより良くするための金であるべき」という信念です。単に金箔で付加価値を上げるのではなく、本当に価値ある商品にこそ金箔を使うという姿勢が、一流企業からの信頼を獲得する鍵となっているのです。


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創業者・浅野邦子が切り開いた金沢箔ブランドへの挑戦

箔一の「革命」の礎を築いたのは、浅野達也社長の母である創業者・浅野邦子氏です。1967年、結婚を機に京都から金沢へ移り住んだ邦子氏が目にしたのは、仏壇向け下請けとして細々と営む夫の家業でした。

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箔一の創業者 浅野邦子氏                                 (引用:「箔一」HPより」)

当時の金沢では金箔製造が行われていたものの、産地としての全国的知名度はほとんどありませんでした。まだ20代だった邦子氏は、売り上げが減り続ける状況に強い危機感を抱き、大胆な決断をします。それが「金沢の金箔を誰もが知るブランドにする」という夢でした。

邦子氏が取り組んだのは、仏具ではない日常使いできる金箔商品の開発です。しかし当時の職人たちは猛反対しました。「金箔で皿?お仏壇に使う金箔を食器になんて、ありえんよ」という声が上がったのも無理はありません。伝統を重んじる職人たちにとって、金箔は神聖なものだったのです。

それでも邦子氏は諦めませんでした。必死で職人を説得して商品を作り上げると、東京の百貨店に飛び込み営業を繰り返しました。当時は誰も相手にしてくれない日々が続きましたが、商品デザインの改良を重ね、何度断られても足を運び続けたのです。

邦子氏の口癖は「夢は逃げない。逃げるのは自分」でした。卵一つ買うのにも苦労するほどの貧しい生活の中、内職をしながらも金沢箔のブランド化を諦めなかった姿は、まさに不屈の精神そのものです。

そんな邦子氏のビジネスに転機をもたらしたのが「あぶらとり紙」でした。金箔製造の工程で使われる箔打紙は、本来なら捨てられるものでしたが、非常に油を吸い取る性質があることに邦子氏は着目します。女性ならではの視点で商品化したあぶらとり紙が東京の百貨店で人気となり、それが金箔商品展開の足がかりとなったのです。


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箔一の強み:金箔製造から商品化までの一貫生産システム

箔一の最大の競争優位性は、金箔製造から商品化まで全てを自社で行う「一貫生産システム」にあります。これは業界では極めて珍しい体制です。

金箔の製造工程は驚くほど繊細です。まず原料の金塊に少量の銀と銅を加えます。この配合が金箔を極限まで薄く伸ばすために不可欠なのです。最終的な四号色(食用可能な金箔)の成分は、金が約94%、銀が4.9%、銅が0.66%となります。

高温で溶かした合金をローラーで繰り返し伸ばし、特殊な紙に挟んで叩いて伸ばすと、1000分の5ミリの薄さになります。しかしここからが本番です。さらに厳重に重ね合わせ、1トンの力で叩ける強力なマシンで仕上げると、なんと1万分の1ミリという驚異的な薄さの金箔が完成します。わずか2グラムの金で、畳一畳分の金箔ができるというから驚きです。

箔一はこの金箔製造技術を自社で持つだけでなく、用途別に専門の事業部を分けています。工芸品を作る工房、食用金箔の工場、建材を作る工房など、それぞれが高度な専門性を持って年間300もの案件に対応しているのです。

例えば、工芸品工房では「ちぎり技法」や「ちらし技法」といった熟練の技が光ります。女性職人たちが様々な色味の箔を貼り重ねることで生まれる奥行き感や、散らし方の位置によって変わる商品の印象など、一つ一つが手作りならではの味わいを持っています。

建材工房では金箔の壁紙シートを製造し、ホテルやオフィスビルなど大型案件にも対応します。2025年11月にオープンした「ふふ東京銀座」のエレベーター内装では、シルバーの箔を偶然性を生かして配置する技法が採用され、「見たことないエレベーター」と高い評価を得ました。

この一貫生産体制について、浅野社長は興味深いことを語っています。「実は結果論」だと。誰も箔一の商品を売ってくれないから、自分で作って自分で売るしかなかった。その繰り返しが、今の循環型ビジネスモデルを生み出したというのです。


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レクサスも採用!職人が生み出す革新的な金箔技術

箔一の技術力を象徴するのが、2020年のトヨタ・レクサスへのプラチナ箔採用です。この快挙は、10年越しの挑戦の末に実現しました。

レクサスの車内に採用されたプラチナ箔の特徴は、その繊細なデザインにあります。職人の串岡巧介氏は、あえて箔を9分の1サイズに小さくし、狭い面積でも伝統工芸の風合いを表現することにこだわりました。さらに、一つ一つの箔をわざとずらして配置することで、「バラバラの曖昧さ」が生み出す美しさを追求したのです。

実は浅野社長自身、この案件については「諦めなさい」と社員に伝えていたそうです。大企業で品質を均一にしなければならない自動車メーカーが、手作りの金箔を採用するなど「奇跡に近い」と考えていたからです。

ところが職人たちの情熱は違いました。社長に内緒でトヨタへのプレゼンテーションを続け、ついに採用を勝ち取ったのです。報告を受けた浅野社長は「やっぱり嬉しかった」と当時を振り返ります。

九州新幹線の観光列車や、石川県を走る「花嫁のれん」という観光列車にも箔一の金箔が採用されています。特に花嫁のれんの車内には、一面に金箔を貼られた美しいドアがあり、乗客から「金沢に来たって気がする」と好評です。

イギリスの老舗スーツケースブランド、グローブ・トロッター(120年以上の歴史)との協業も注目されます。箔一は金箔だけでなく、錆びにくい金属である錫(すず)の箔も扱っており、82万5000円のスーツケースに錫箔を使用。均一ではなく、様々な箔をちぎって重ねて貼ることで、独特の奥行き感を表現しています。

ヤマハ銀座ビルの壁面では、ガラスとガラスの間に金箔を加工して挟み込む技術を採用。表からも裏からも美しく、耐久性も維持できる仕上がりとなっており、浅野社長は訪れるたびに写真を撮るほど気に入っているそうです。

職人の青木充氏は、常に新しい技法の開発に取り組んでいます。ベースから模様をつけてテクスチャーを出し、盛り上がるような表現を試すなど、「なんかの案件でも使えればいいな」と日々実験を重ねています。この探究心こそが、箔一の技術革新を支えているのです。


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あぶらとり紙から金箔ソフトまで:箔一の多彩な商品展開

箔一の商品ラインナップは実に多彩です。日常使いできる食器から、観光客に人気の金箔ソフトクリーム、さらには企業とのコラボ商品まで、幅広い展開が特徴です。

金沢のひがし茶屋街にある箔一の店舗では、金箔を一枚丸ごと使った金箔ソフトクリームが大行列を作っています。「高級なものを食べた感じ」「でも味はわかんない(笑)」という客の反応が微笑ましいですが、この商品は金沢観光の代名詞となっています。

金箔の箸作り体験も人気です。30分ほどで自分だけの金箔箸を作れる体験は、「金沢は金箔だよね」と観光客の満足度を高めています。体験型施設「箔巧館」には、プロジェクションマッピングを使った金箔ミュージアムもあり、金箔作りの魅力を五感で体験できる空間となっています。

本社の販売コーナーには、日常使いできる金箔商品がずらり。例えば三段重の重箱が8800円で購入できるなど、意外とお手頃な価格設定も魅力です。

食器類のラインナップも豊富です。スタジオに持ち込まれた商品を見ると、それぞれ技法が全く異なることがわかります。薄い木製のボールに箔を振って偶然性を利用したもの、何層にも箔を重ねてデザインを作るもの、さらにはお茶の世界にヒントを得て、わざと金が剥がれやすくして、日本酒を飲む間に少しずつ剥がれていくのを楽しむおちょこまで。年間100種類の新商品開発という目標は「半分、意地みたいなところもある」と浅野社長は笑います。

企業とのコラボレーションも積極的です。コイケヤのポテトチップスに振りかける食用金箔、森永の金のチョコボール、キットカットの黄金バージョンなど、お菓子メーカーとの協業が目立ちます。

時計ブランドKnot(ノット)との協業では、2年越しで金箔文字盤の腕時計を完成させました。10万通り以上の組み合わせからカスタマイズできるブランドとして知られるKnotですが、文字盤という小さな面積に金箔をのせる作業は困難を極めたそうです。それでも完成した商品は即完売となり、「素晴らしい商品ができた」と高評価を得ています。

銀座にある箔一のショールームには、様々な業種の商品開発担当者が詰めかけます。「金で何かお願いしたいってなったら、もう箔一さんしかない」という声が聞かれるほど、業界での信頼は厚いものがあります。


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伝統産業×地域貢献:金沢の町家再生と能登半島地震支援

浅野社長は、伝統産業の継承には地域の存続が不可欠だと考えています。「金沢という街があるからこそ我々の伝統産業がある」という信念のもと、金沢の町家再生事業に力を入れています。

ひがし茶屋街では、高齢化と人口減少により美しい景観を維持できなくなっていました。浅野社長はこの問題に立ち上がり、空き家となった建物を買い取って再生する事業を展開しています。

例の金箔ソフトクリームの店舗は、実はかつての銭湯でした。男性用と女性用の浴室に分かれていた空間を、天井の高さを生かして店舗にリニューアル。街を盛り上げる新たな施設へと生まれ変わらせたのです。

赤い外壁が美しい代表的な茶屋建築も箔一が買い取りました。1階には茶屋建築らしい風情を残しつつ、2階は金箔スイーツが楽しめるカフェに改装。金箔を一面に貼った廊下は撮影スポットとして人気を集めています。

「昔の写真が残っているから、その写真の通りに直していく」という方針で、金沢の伝統的な街並みを次世代に残す取り組みを続けています。

2024年の能登半島地震では、石川県七尾市で日本料理の有名店を営む川島亨さんの店が壊滅的な被害を受けました。川島さんの貴重な食器は割れてしまいましたが、浅野社長は金継ぎ(金を使った修復技術)による無償支援を申し出ました。

修復された食器を目にした川島さんは「これなんか本当、作品となってて、もうアート」「なんかちょっと涙が出そう」と感激の声を上げました。金継ぎによって生まれた新たな美しさが、食器に新しい命を吹き込んだのです。

「僕らしかできない、この能登への支援というのは何かな」と考えた結果の行動でした。伝統技術を持つ企業だからこそできる、意義深い地域貢献と言えるでしょう。

佐賀県の唐津くんちで使われる山車の修復も手がけています。5年前に箔一が修復した山車は、金ピカに光る部分の劣化が激しく、一部の金箔が剥がれていました。職人リーダーの木戸口善夫氏は「目の周りの金の太さとかも、数ミリ違うだけで表情が変わる」と細心の注意を払って修復。町の人々からは「驚きですね。こんなにこう、見違えることかという感じ」と感謝の声が上がりました。

「日本の伝統文化も、金箔の技術があってこそ残していける」という使命感が、浅野社長の行動を支えています。


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まとめ:箔一が示す伝統産業サバイバルの道筋

箔一の成功は、衰退する日本の伝統産業に一筋の光を示しています。そのサバイバル戦略は、以下の5つのポイントに集約されます。

第一に、用途開発による市場創造です。仏壇という限られた市場から、自動車、鉄道、建築、食品、化粧品へと、金箔の可能性を大きく広げました。

第二に、一貫生産による品質管理と柔軟性です。製造から商品化まで自社で行うことで、顧客の多様なニーズに迅速に対応できる体制を構築しました。

第三に、職人の技術革新への挑戦です。伝統を守るだけでなく、新しい技法や表現を追求し続ける職人たちの情熱が、企業の競争力を高めています。

第四に、地域と一体となった経営です。金沢というブランドを大切にし、町家再生や地域支援を通じて、産地全体の価値向上に貢献しています。

第五に、明確な価値観の共有です。「いいものをより良くするための金」という哲学が、社内外に浸透し、ブランド価値を高めています。

インバウンド需要の増加も追い風となっています。浅野社長は「目利きの外国人が増えてきた」と実感しており、本物の日本を求める海外客が、箔一の商品価値を正しく理解してくれているといいます。

母・邦子氏から受け継いだ「夢は逃げない。逃げるのは自分」という言葉。浅野達也社長は、この精神を胸に、金箔革命を今も進化させ続けています。

伝統産業の未来は決して暗くありません。箔一の挑戦は、技術と創造性、そして地域への愛があれば、どんな産業も新しい時代を切り開けることを証明しているのです。

※ 本記事は、2025年12月4日放送(テレビ東京系)の人気番組「カンブリア宮殿」を参照しています。
※ 株式会社 箔一の公式サイトはこちら

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