2026年3月19日放送のカンブリア宮殿に、井村屋会長の中島伸子さんが登場しました。アルバイトから51年をかけて創業130年の老舗企業で初の女性トップに就いた中島さんの経営哲学とは?アンナミラーズ復活やあずきバーのSNS戦略、そして二十歳で遭遇した北陸トンネル列車火災事故の壮絶な体験まで、番組で語られた内容を詳しくお伝えします。
井村屋会長・中島伸子とは?アルバイトから51年で初の女性トップへ
2026年3月19日放送のカンブリア宮殿(テレビ東京系)に、井村屋会長の中島伸子さん(73歳)がゲスト出演しました。
中島さんの経歴は、日本の企業史の中でもきわめて異色です。1975年、23歳の時に井村屋製菓(現・井村屋グループ)の福井営業所に経理事務のアルバイトとして入ったのがスタートでした。経理学校に通いながら働く勤務姿勢が評価されて正社員の道を勧められ、採用試験に合格。その後、北陸支店長、関東支店長、執行役員、取締役と着実にキャリアを積み、2019年に井村屋グループ初の女性トップである代表取締役社長に就任しています。
非正規雇用から上場企業のトップにまで上り詰めたケースは、日本では極めて珍しいものです。「あずきバー」や「肉まん・あんまん」といったロングセラー商品で知られる創業130年の老舗をけん引する中島さんの経営の軸は、徹底した「ファン目線」にあります。番組では、その具体的な戦略が次々と紹介されました。
アンナミラーズ南青山店復活|中島伸子が仕掛けた行列の秘密
番組冒頭でまず紹介されたのが、2026年2月13日にグランドオープンしたアンナミラーズ南青山店の大行列でした。
アンナミラーズは1973年にアメリカ発のレストランとして東京・青山に1号店をオープンし、ホームメイドのアメリカンパイとチャーミングな制服で一世を風靡したブランドです。最盛期には26店舗を展開しましたが、次第に店舗数が減少。2022年8月に最後の高輪店が再開発のために閉店し、国内から実店舗が姿を消していました。
およそ3年半のブランクを経て、1号店ゆかりの南青山の地に復活を果たしたわけですが、その仕掛け人こそ中島さんです。番組では、オープン日に行列の整理に自ら立つ中島さんの姿が映し出されていました。行列が長くなると、待っているお客さん一人ひとりに頭を下げて回るその姿からは、ファンへの深い感謝が伝わってきます。
特に印象的だったのは、かつてアンナミラーズで働いていた元スタッフが5人も戻ってきたというエピソードです。27年間アンナミラーズで働いていたという髙橋涼子さんは、「昔いた従業員の子たちも、もう何百人もいるんですけど、みんなも大喜びしてます」と語っていました。こうした人のつながりを大切にする経営こそ、中島さんの真骨頂といえるでしょう。お店の復活が、単なるブランドの再始動ではなく「人と人のつながりの復活」でもあった点は、今の時代にとても響くものがあります。
あずきバーのSNS戦略とファンの声から生まれたヒット商品
井村屋の看板商品といえば、年間約3億本を売り上げるあずきバーです。番組では、このあずきバーを軸にしたユニークなSNS戦略が紹介されました。
あずきバーといえば「硬すぎる」というイメージがファンの間で定着しています。井村屋のSNSチームはこれを逆手に取り、まるで刀鍛冶のようにあずきバーを製造しているというお茶目な投稿を発信。さらには「刃物の街」として知られる岐阜県関市とのコラボレーションや、あずきバーそっくりのキャンドルまで作ってしまうという遊び心を見せています。
人気ゲーム「龍が如く」シリーズとのコラボでは、キャラクターの体力回復アイテムとしてあずきバーを登場させたところ、ファンからは「武器じゃねえんだ、回復アイテムなんだ」「なんで武器食ったら体力回復するんだよ」とまたいじられるリアクションが返ってきたといいます。このやり取り自体がSNS上で話題になるのですから、実に巧みなコミュニケーションです。
こうしたファンとの対話から、実際に新商品も生まれています。番組で紹介された「すまん」という商品は、肉まんファンからの「具がない皮だけを作ってほしい」という投稿に応えて商品化されたものです。SNSチームの末松和佳さんが「やっぱりお客様に喜んでもらうっていうことが一番大切」と語っていたように、企業側からの一方的な発信ではなく、ファンと一緒にブランドを育てていくという姿勢が井村屋流といえます。
また、井村屋の開発部隊では多くの女性社員が活躍しており、自分たちも楽しみながら、消費者目線で商品を作っている点も特徴です。中島さんは「自分が開発したい商品というよりも、家族や周りの人に食べてもらいたい商品を目指している」と語っており、ここにも「ファンを見つめる」井村屋の企業文化が表れています。
北陸トンネル列車火災事故|中島伸子の人生を変えた二十歳の壮絶体験
番組で最も深く掘り下げられたのが、中島さんの人生観を根底から変えた壮絶な体験でした。
1972年11月、北陸トンネルを走行中の列車で火災事故が発生します。食堂車から出火し、30人の死者を出した大惨事の現場に、当時二十歳で高校教師を目指す学生だった中島さんがいました。
番組で中島さんは、その時の状況を鮮明に語りました。食堂車の隣の車両に乗っていた中島さんの前には、5歳と3歳と2ヶ月の男の子を連れた母親が座っていました。火が迫る中、その母親は5歳の長男の手を中島さんに握らせ、「この子だけでも助けてくれ」と懇願したといいます。中島さんはその子を抱えて、誰かが割った窓から飛び降りましたが、14キロもある真っ暗なトンネル内で意識を失い、3日間生死を彷徨いました。
意識が回復した時、両親が泣きながらそばにいたこと。そして、託された親子4人が亡くなったことを後に知ったこと。中島さんの声は震えながらも、一言一言を噛みしめるように語っていました。
事故の後、煙を吸ったことで声が出なくなり、教師への道を断念せざるを得なかった中島さん。失意のどん底で家に閉じこもっていた時、東京で働く父親から手紙が届きます。そこに書かれていたのは、「『辛い』という字に横に一本足せば『幸せ』になる。その一本を見つけていくのがこれからの君だ」という言葉でした。
この父親の手紙が、中島さんの「プラス1」の人生哲学の原点となっています。事故で亡くなった4人への恩返しとして社会の中で生き抜くと決意し、結婚する際にも夫に出した唯一の条件が「ずっと働かせてくれ」だったといいます。
「人生ってたらればってないなと思ったんです。前向いて、力強くドシドシ歩いていくしかない」という中島さんの言葉は、壮絶な体験を乗り越えたからこそ持つ重みがあります。
関東支店長で辞表を出した「アヒル事件」と中島伸子の不屈の精神
中島さんのキャリアは順風満帆だったわけではありません。番組では、50歳で最も売上の大きい首都圏を任される関東支店長に昇進した時のエピソードが語られました。
100人以上の営業マンを束ねる立場になった中島さんに対し、部下たちからの反応は厳しいものでした。「新しい支店長、ちょっと実力不足ですよね」「細かいことばっか言って、東京の営業を全然わかってないんじゃないか」。信頼を得るために悩み抜いた中島さんは、意を決して自分への評価を問う無記名アンケートを実施します。
5段階評価の結果は衝撃的でした。無記名なのにわざわざ名前を書いて「1(いらない)」や「2」を付ける部下がおり、最高でも「3(普通)」。中島さんはこれを「アヒル事件」と名付けています。
あまりのショックに1週間悩んだ末、中島さんは辞表を書いて営業本部長のもとへ持って行ったそうです。しかし、結果的にはこのどん底の経験を乗り越え、踏みとどまりました。
番組で印象的だったのは、「今思うとしょうがなかったんです」「でもそういう人たちが、今、支店長で活躍してるんですよ」と笑顔で語る中島さんの姿です。「アヒル事件」は今では社内共通の笑い話になっているといいます。あの時に諦めなかったからこそ、今の中島さんがある。リーダーとして壁にぶつかった時に、自分から逃げずに向き合う姿勢は、多くのビジネスパーソンにとって勇気をもらえるエピソードではないでしょうか。
三重県津市に複合スイーツ店オープン|井村屋の地元ファンへの恩返し
番組では、2026年2月下旬に三重県津市にオープンした複合スイーツ店「イムラヤ スイーツ マルシェ ラッセリア」も紹介されました。
ラッセリアは、井村屋グループが育ててきた3つのスイーツブランド――アンナミラーズ、南仏プロヴァンス発のパティスリー「ラ・メゾン・ジュヴォー」、そして和菓子の「菓子舗井村屋」――が一堂に会した全国初の店舗です。店名の「ラッセリア」は花言葉で「旅立ち」を意味し、新しい出会いへの願いが込められています。
東京や名古屋にはあるけれど、本社のある津市の近隣にはなかったこれらのブランドを地元に集めたのは、中島さんの「地元ファンへの恩返し」という思いからです。番組では来店した女性客が「3店舗揃ってるので、いろんなものが一気に食べられる」と喜ぶ姿が映し出されていました。
店内入口には、中島さんがどの店舗でも大切にしているという「お客様の声ノート」が設置されています。中島さんは「お客様からいただく貴重な意見をもっと大事にしなければいけない」と語り、このノートをすべての店舗に置いているといいます。デジタル全盛の時代にあえてアナログの「声ノート」を大切にする姿勢は、ファンの生の声を経営の原点に据える中島さんらしい取り組みです。
まとめ
今回のカンブリア宮殿で紹介された井村屋会長・中島伸子さんの経営は、「ファンと共に歩む」という一貫した哲学に貫かれていました。
アンナミラーズの復活では元スタッフまでもが戻ってくるほどの求心力を見せ、あずきバーのSNS戦略ではファンと一緒にブランドを「いじり合う」関係を構築。アルバイトから始まった51年のキャリアの中には、北陸トンネル事故という壮絶な体験や、辞表を書くほどの挫折もありました。
それでも「辛に一本足せば幸せになる」という父の言葉を胸に、前を向き続けてきた中島さん。番組の中で語った「働くって、家族に助けられてるなと思いました」という言葉と、それを聞いた小池栄子さんの「尊いですね、家族って」という一言が、視聴者の心に深く響いた回でした。




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