スポンサーリンク
テレビ番組・情報

【クローズアップ現代】福山雅治「クスノキ」誕生秘話「被爆樹木が語る平和の歌」

fukuyama-kusunoki-tanjo-hiwa
スポンサーリンク

2025年8月5日放送のクローズアップ現代」で特集された、福山雅治さんの楽曲「クスノキ」について詳しく知りたいと思いませんか?24年間の創作過程や被爆樹木との深い絆、そして平和祈念式典で合唱される理由まで、番組では語られなかった詳細な誕生秘話をお伝えします。この記事を読むことで、単なる楽曲を超えた「クスノキ」の真の意味と、歌の力がどのように平和のメッセージを未来へ繋いでいくのかが深く理解できるでしょう。

スポンサーリンク

福山雅治「クスノキ」が平和祈念式典で合唱される理由

fukuyamamasaharu

福山雅治さん

2025年8月9日、被爆80年の節目を迎える長崎平和祈念式典において、歴史的な瞬間が予定されています。長崎市立城山小学校と山里小学校の5・6年生100人が、福山雅治さんの楽曲「クスノキ」を初めて合同で合唱することになっているのです。 この合唱の実現には深い意味があります。2000年から始まった式典での児童合唱では、城山小学校が「子らのみ魂よ」、山里小学校が「あの子」を毎年交互に披露してきました。しかし被爆80年という特別な節目に、長崎市は「平和への願いを力強く発信する」ため、2校による初の合同合唱を決定しました。 長崎市が「クスノキ」を選曲した理由について、市側は「被爆し大きな傷を負ったにもかかわらず、今も当時の場所に立ち続ける山王神社被爆樹木を題材に、すべての生命が等しく生きられる世界への願い、生命の尊さ、逞しさという普遍的なメッセージが描かれた楽曲」であり、「未来を担う若い世代の子どもたちが、被爆樹木を通して、被爆の実相を学び、平和の大切さを感じていただけるもの」と説明しています。 この楽曲が単なる平和の歌を超えた存在となっているのは、福山さん自身の長崎での体験と深く結びついているからでしょう。原爆で焼かれながらも再び芽吹いた被爆クスノキは、まさに長崎の復興と希望の象徴そのものなのです。

スポンサーリンク

福山雅治「クスノキ」誕生秘話|24年かけて完成した被爆樹木の歌

「クスノキ」の誕生には、福山雅治さんの24年間にわたる創作の葛藤と成長の物語があります。1990年のデビュー時から、長崎出身のアーティストとして社会課題に向き合った楽曲を作ることは「マストだという勝手な使命感」を持っていたと福山さんは振り返ります。 実際、デビューアルバムには長崎を描いた「ピースインザパーク」という楽曲が収録されていました。しかし当時の福山さんは「売れませんでしたね」と苦笑いするように、多くの人の心に届いた実感は得られませんでした。 転機となったのは2011年、番組のナビゲーターとして地球上の絶滅危惧種と出会った経験でした。「様々な偶然と奇跡が重なりあったとき命はこうも多彩な姿となって現れるのか」という気づきから、福山さんは「地球に生かされている、自然に生かされているという立ち位置を間違っちゃいけない」と感じるようになりました。 最も印象深いのは、歌詞の主語を見つけるまでの苦悩です。「我が魂は」というフレーズは24年間ずっと頭にあったものの、その後に続く言葉が見つからなかったといいます。絶滅危惧種との出会いによって「我が魂はこの土に根ざし」という歌詞が生まれ、主語を人間ではなく樹木に置き換えることで「一気に描けた」のです。 この発想の転換により、人間と人間との対立、正義と正義の対立といった複雑な問題を、被爆樹木という存在を通して表現することが可能になりました。24年という長い年月は、決して無駄ではなく「それほどまでに時間がかかるテーマだった」と福山さんは語っています。

スポンサーリンク

長崎出身・福山雅治と被爆樹木との深い絆

福山雅治さんと被爆クスノキとの関係は、個人的な体験に深く根ざしています。高校時代、福山さんの父・明さんが原爆病院で癌の闘病をしていた際、福山さんは「なんとなく」山王神社のクスノキの前に立ち寄っていました。 「自分に対してのいらだちや、そういったものがあった時に何か自分のそういう感じてることがとても小さく思える」存在として、クスノキは福山さんの心の支えとなっていました。父親の闘病に対して「できることがない」無力感や虚無感を抱えていた高校生の福山さんにとって、「もしかしたらこのクスノキ、もっと大変だったかも」という思いが、自分の境遇を相対化させてくれたのです。 この体験は、後に「クスノキ」の歌詞に反映されることになります。「人々の営み、喜びを悲しみをただ見届けて」という部分には、人間が起こすいいことも悪いことも含めて全部見てきた樹木への畏敬の念が込められています。 爆心地から800メートルの地点にある山王神社のクスノキは、80年前の8月9日午前11時2分の原爆投下により焼き尽くされました。「70年草木も生えない」と言われた長崎の町で、わずか2ヶ月後に再び芽吹いたこの樹木は、現在では高さ約20メートル、樹齢500年を超える大木として、希望と平和の象徴となっています。

kataasitorii

「クスノキ」にも歌われる片足鳥居

スポンサーリンク

歌の力で広がる平和のメッセージ|全国の学校で平和教育に活用

2014年の発表以来、「クスノキ」は全国各地で歌われ、教育現場でも平和や命の尊さを考える教材として活用されています。福島県郡山市の中学校では、社会科教諭の星美由紀さんが授業に取り入れています。星さん自身が東日本大震災の原発事故で2人の子供と避難生活を送った経験があり、「クスノキ」の歌に励まされたことから、「福山さんの歌があることで伝えていく、風化させない」という思いで授業を行っています。 生徒たちの反応も印象的です。「クスノキの新芽のこと言ってんのかなと思って。木が頑張ってるから自分も頑張ろう」「歌にすればずっと残る」といった感想からは、楽曲が単なる知識の伝達を超えて、生きる力そのものを伝えていることがわかります。 さらに注目すべきは、被爆クスノキ2世の植樹活動です。種から苗木を育て、全国に植樹する取り組みが広がっており、名古屋市の椙山女学園高校でも生徒たちの発案により実現しました。「毎日みんな通るから、通るたびに平和のこと考える」という松本萌さんの言葉は、平和への思いが日常に根ざしていく様子を表しています。 この広がりは、福山さんが番組で語った「音楽に何か思いを乗せたら無限に続いていく可能性がある」という言葉を現実のものとしています。音楽の持つ力が、時間と空間を超えて平和のメッセージを伝え続けているのです。

kusunoki2sei-syokujyuyoteiti

椙山女学園高校の被爆クスノキ2世植樹予定地                      (引用:「NHK」より)

スポンサーリンク

5000人との合唱で響く「我が魂は奪われはしない」

sikitennnimutenorennsyu

式典に向けて練習する城山小と山里小の児童ら                       (引用:「毎日新聞」より)

被爆80年の2025年8月9日の夜には、福山雅治さんが長崎市民5000人とともに「クスノキ」を合唱する予定です。この特別な機会のために、福山さんは元来のピアノとギター、そして自らの歌声だけで表現されていた楽曲に、ストリングスやコーラスを加えた新たなアレンジを施しました。 「みんなの心が一つになって歌声が大きく響き渡る曲にしよう」という福山さんの思いが込められたこのアレンジは、楽曲に新たな命を吹き込んでいます。「我が魂は奪われはしない、この身折られど、この身焼かれども」という力強い歌詞が、5000人の合唱によって長崎の夜空に響く予定です。 福山さんは「もうこれ泣いて歌えないかもしれない」と心配していますが、この瞬間こそが「僕の歌は誰かの歌、あなたの歌になってそして2025年にやっとみんなの歌になった」という実感をもたらすことでしょう。 日本原水爆被害者団体協議会のノーベル平和賞受賞というニュースも重なり、平和に対する思いが「一歩前進した」と福山さんが感じるこの8月9日は、まさに歴史的な一日となることでしょう。

スポンサーリンク

まとめ

福山雅治さんの「クスノキ」は、単なる楽曲を超えた存在として、被爆80年の節目に特別な意味を持ちます。24年間の創作の葛藤を経て生まれたこの楽曲は、長崎の被爆クスノキという具体的な存在を通して、生命の尊さと平和への願いを普遍的なメッセージとして伝えています。 2025年8月5日放送のNHKクローズアップ現代では、福山さんの個人的な体験から楽曲の誕生までの軌跡が丁寧に描かれ、音楽が持つ力の可能性が示されました。間もなく実現する平和祈念式典での児童合唱、全国での教育活用、そして予定されている5000人との合唱という広がりは、「音楽は樹木よりも長く生きるかもしれない」という福山さんの言葉を現実のものとしています。 被爆樹木が80年間立ち続けてきたように、この楽曲もまた世代を超えて歌い継がれ、平和への思いを未来に伝え続けていくことでしょう。福山雅治さんが込めた「全ての命が等しく生きられる世界を願う」というメッセージは、今後も多くの人々の心に響き続けていくに違いありません。

※ 本記事は、2025年8月5日放送のNHK「クローズアップ現代」を参照しています。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
シェアする
スポンサーリンク

コメント

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました