2024年元旦の能登半島地震で、5歳の叶逢くんが亡くなられた痛ましい出来事は、多くの方々をショックの淵に陥れました。浮き彫りになった医療体制の脆弱性を踏まえ、災害弱者に対する対策を見直すことが重要です。叶逢くんの無念の最期が契機となり、この国の防災対策が抜本的に改善されていくことを切に願います。
地震で5歳児叶逢くんがやけど 入院を2病院が断る
2024年1月1日、石川県能登半島を震源とするマグニチュード7.4の地震が発生しました。志賀町に住む中川叶逢(なかがわかなと)くん(5歳)は、親戚宅で石油ストーブのそばで餅を焼いていた際、震度7の揺れによりかんの熱湯が体にかかり、お尻や足などに重度のやけどを負いました。
叶逢くんの母である岬さんは、我が子の痛みに耐えられず、すぐに119番し救急車を要請しましたが、初めは「断られ」てしまいます。さらに避難指示が出ている最中で、道路も寸断されるなど移動が困難な状況でしたが、懸命に病院を目指しました。その後、途中で救急車が到着し何とか病院にたどり着きますが、1軒目、2軒目の病院でも入院させてもらえなく待機を余儀なくされていました。
母親が叶逢くんの容体急変を目の当たりに
揺れが続く病院のロビーで一夜を明かした叶逢くんですが、3日から高熱が出始め、さらに症状が悪化していきます。岬さんは金沢市の医院で処方せんをもらいましたが、熱が下がらない叶逢くんを内灘町の病院に連れて行きます。しかし、発熱者は外に待つよう言われ、そのまま容体が急変。岬さんは息子の隣で、あまりの急変に呆然とします。
岬さんは「顔もちょっと青白くなっていて。色が変わってて。もう息がとまっていることが分かって」と述懐しています。叶逢くんは集中治療室で治療を受けましたが、5日に死亡が確認されました。母親の岬さんや遺族の嘆きようは筆舌に尽くしがたいものでした。
医療崩壊か 検証が求められる事例
金沢医科大学の男性医師は「治療にミスはなかった」と述べつつも、初期対応が適切だったかは検証する必要があるとコメント。確かにこの事例から、大災害時の医療提供能力への限界が見え隠れします。人員と設備の制約から、災害弱者である子どもや高齢者などへのケアが後回しになる可能性があり、検証していく必要がありそうです。
元気だった叶逢くんの姿 岬さんの思い
記者が岬さんに大きくなった叶逢くんの将来の夢を聞くと、「自衛隊や警察、消防士になりたいと言っていました。ヒーローのような守る仕事がしたかったんです」と語り、可愛らしいエピソードを明かしました。お母さんも「戻ってきてほしい」と胸の内を吐露しています。こうした岬さんや叶逢くんの姿に、ネット上でも哀悼の声が広がっています。
ネット上の反応 怒りと哀しみの声
ネット上では、「涙が止まらない。かわいそう過ぎる」「こんなに元気な子が…。お悔やみ申し上げます」「医療体制を検証すべきだ」など、怒りと哀しみのコメントが多数寄せられています。ひとことの声には重みがあり、社会全体でこの痛ましい事例を真摯に受け止め、教訓にしていくことが必要不可欠でしょう。
まとめ
この痛ましい事例は、自然災害がもたらす混乱の只中で、脆弱な立場にある人々へのケアが後回しにされがちな現状を思い知らされます。叶逢くんの無念の最期を、二度と繰り返さないために、防災体制と医療体制の強化が喫緊の課題であると痛感されます。ご冥福を心よりお祈りいたします。
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