2025年10月29日放送のNHK「クローズアップ現代」で、日本の発酵食品が世界的なブームを迎える一方で、地域に根付いた伝統的な発酵食品が存続の危機に直面している実態が明らかになりました。この記事では、番組で紹介された具体的な事例をもとに、なぜブームなのに危機が訪れているのか、そして私たちが日本の宝をどう守っていけるのかを詳しく解説します。
発酵食品ブームの裏側で起きている存続の危機とは
今、世界中で日本の発酵食品が注目を集めています。醤油や味噌の輸出額は2024年に過去最高を記録し、麹は世界のトレンド食材の一つに選ばれました。ニューヨークの二つ星レストランでは麹を使った革新的な料理が開発され、「麹は私の料理の幅を広げてくれます」とシェフが語るほど、その可能性が評価されています。
しかし、このブームの裏側で深刻な問題が起きています。全国の発酵食品を集めた国内最大規模の販売イベントでは、例年参加していた店舗の2割近くが、これまで通りに出品できなくなったのです。発酵デザイナーの小倉ヒラクさんは「今は本当に存続の危機」と警鐘を鳴らしています。
番組の取材により、青森に伝わる納豆を乳酸発酵させた「ごど」、新潟のフグの卵巣を使った「ふぐの子のかす漬け」、沖縄の伝統的な味噌「沖縄みそ」など、各地で親しまれてきた数多くの発酵食品が厳しい状況にあることが明らかになりました。輸出額は伸びているのに、なぜ地域の発酵食品は消えようとしているのでしょうか。
実は、輸出の増加は主に昔から販売チャンネルを持っている大手メーカーによるもので、地域で手作り・伝統的に作られている発酵食品の輸出量はごく一部に過ぎません。つまり、世界的なブームと国内の地域発酵食品の危機は、全く別の次元で起きている現象なのです。
世界が注目する日本の発酵食品と麹の力
海外で日本の発酵食品が人気を集めている理由は、大きく分けて三つあります。
一つ目は、発酵がもたらす「旨味」の力です。世界の名だたるレストランのシェフたちは、食べ物をおいしくさせる発酵の力に注目しています。番組で紹介されたレストランでは、大麦を麹菌で36時間発酵させた麹ケーキを看板メニューにしており、アプリコット塩麹と味噌のソースを組み合わせることで、西洋料理とは異なる深い旨味を引き出しています。
二つ目は、健康効果への期待です。アメリカの醤油工場が開いた発酵食品イベントには1,000人近くの市民が集まり、「天然由来で微生物が含まれていて健康にいい」「日常的に味噌汁を飲むと肌がすごく明るくなる気がする」といった声が聞かれました。腸内環境を整える効果が注目され、世界各国のスーパーにも様々な種類の醤油や味噌が並ぶようになっています。
三つ目は、伝統製法で作る「文化」への関心です。日本独特のカビの一種である麹菌を、米や大豆、麦などの様々な原料と組み合わせることで、醤油や味噌など多様な発酵食品を生み出してきた日本の発酵文化。この長い歴史と手間暇かけた製法に、海外から熱い視線が注がれているのです。
危機に瀕する地域の発酵食品の実態
番組では、具体的にどのような発酵食品が危機に直面しているのか、詳しく取材されました。
沖縄の伝統味噌蔵の苦境
琉球王朝の時代から170年続く沖縄唯一の味噌蔵では、近年の物価高が大きな打撃となっています。大豆や米などの原材料費はおよそ3倍に高騰し、輸送費も値上がりして経営は限界に近づいていました。
さらに追い打ちをかけたのが、令和のコメ騒動です。この蔵の味を特徴づけている自家製の米麹には月に2.5トンの米が必要ですが、2024年から原料である加工米を入手できなくなり、一時製造中止に追い込まれました。代表の大城由美さんは「あちこち頼みまくって、どうにか今週分と来週分は加工してるような状況」と、綱渡りの経営状況を語っています。
秋田のハタハタ寿司の危機
小倉ヒラクさんが特に危機感を抱いているのが、秋田のハタハタ寿司です。かつては年間1万トン以上獲れていたハタハタが、ここ2、3年で急激に獲れなくなり、地元の人でもなかなか見られない状態になっています。気候変動の影響も考えられ、このお寿司を仕込むこともできなくなっており、何年も続くと文化として継続できなくなる恐れがあります。
宮崎の干し大根の技術継承問題
宮崎県の干し大根は、江戸時代からある古い製法の発酵食品で、乳酸発酵だけで作る非常に美味しい食べ物です。しかし現在、大根を干す時の櫓を組む技術が急速に失われており、地域の少子高齢化によって大根を作る農家も減少しています。
発酵食品が消える原因は何か
地域の発酵食品が消えていく原因は、複合的な要因が重なっています。
物価高と原材料費の高騰
最も大きな要因は、経済的な圧迫です。沖縄の味噌蔵の事例では、原材料費が約3倍に跳ね上がり、輸送費も値上がりしています。小規模な蔵では価格転嫁も難しく、経営が立ちゆかなくなっているのです。
令和のコメ騒動による原料不足
2024年に起きたコメ不足は、発酵食品業界にも深刻な影響を与えました。特に米麹を自家製造している蔵では、加工米が入手できず製造中止に追い込まれるケースが相次ぎました。
気候変動による原料確保の困難
秋田のハタハタのように、気候変動の影響で原料となる水産資源や農産物の収穫量が激減しているケースもあります。自然環境の変化は、地域の発酵食品に直接的な打撃を与えています。
伝統製法の担い手不足と少子高齢化
対馬のせんだんごを作り続けている橘トシ子さんは91歳。「今の人たちはね、あんまりね、こんな面倒くさいことせん」と語ります。完成まで4ヶ月かかる手間のかかる製法は、若い世代に継承されにくく、作れる人はごくわずかとなってしまいました。
宮崎の干し大根でも、櫓を組む技術を持つ人が減少しており、技術継承が大きな課題となっています。
小倉ヒラクと内野昌孝が語る失われる価値
番組のゲストとして出演した二人の専門家は、発酵食品が消えることで失われる価値について、重要な指摘をしています。
東京農業大学教授・内野昌孝さんが語る「蔵付き菌」の価値
内野さんは、地域の中小零細企業の蔵の発酵食品は、大手の工業製品と異なる重要な特徴があると指摘します。それが「蔵付き菌」です。その蔵にしかないような菌が働いて独特の風味を形成しており、これらの菌が一度なくなると復活するのが非常に難しいのです。
沖縄の味噌蔵の事例では、代々受け継いできた木桶や蔵の壁、天井に棲みついた微生物が、その蔵独自の味を生み出しています。蔵がなくなれば、この味を再現することは不可能になってしまいます。
解明されていない微生物の可能性
さらに内野さんは、解明されている微生物は1割未満であり、見方によってはもっと少ないと述べています。地域の発酵食品は長年食べられてきており安全性は担保されていますが、その健康機能などは全てが分かっていない状況です。今この機会を失うと、有益な微生物を二度と取れなくなる可能性が高いのです。
発酵デザイナー・小倉ヒラクさんが語る文化と観光資源の喪失
小倉さんは、発酵食品が消えることは、観光資源を失うことにもなると警告します。ヨーロッパでは、地域や製法、それを支える歴史の価値を伝え、高付加価値の商品を作る取り組みが長年行われてきました。消費者も物語と一緒に食を楽しむことが習慣になっています。
日本の発酵食品にも同様の価値があり、その物語や味を知りたいと多くの外国人が訪れています。発酵文化がなくなることは、いろんな国の人たちを受け入れられる観光資源を失うことにもなりかねないのです。
復活の成功事例:小豆島の木桶醤油に学ぶ
絶望的な状況に見える中で、見事に復活を遂げた成功事例があります。それが小豆島の木桶醤油です。
赤字経営からの奇跡的な復活
江戸時代末期から続く小豆島の醤油蔵。5代目の山本康夫さんが引き継いだ頃は赤字経営で、存続の危機を感じていました。「決算書見たんですよ。うわ、やばっと思いましたね」と当時を振り返ります。工場で大量生産したものと価格競争をしても、全然儲からない状態が続いていたのです。
木桶醤油の需要は年々減少し、製造に欠かせない木桶を作る職人も消えようとしていました。しかし山本さんは、「うちの醤油の味とか香りは、この蔵でこの木桶じゃないとできない。子や孫の世代にこのムチャクチャ美味しい木桶の醤油を残し伝えるのが僕の人生の使命なんです」と決意し、自ら木桶作りを学びました。
全国25蔵の連携とKIOKEブランドの誕生
山本さんは全国の蔵元に、共に木桶を作ろうと呼びかけました。これを機に、木桶を作るだけでなく、全国25の蔵が木桶醤油の魅力を発信するために連携を始めたのです。
打ち出したのは、同じ木桶で作りながら、全国各地それぞれの多様な個性が楽しめること。透明な白醤油から深い黒の再仕込み醤油まで風味は様々で、それぞれが地域に根差した文化や歴史を反映しています。
これを”KIOKE”(木桶)というブランドで統一し、海外に販路を拡大。全国各地の多様な味わいとそれぞれの物語が評判を呼び、5年で輸出額は3倍以上に成長しました。
物語性とブランド化戦略の効果
現在、この醤油蔵には年間1万人もの外国人観光客が訪れます。ドイツ人バイヤーは「ヨーロッパの人たちは、物語のある商品を求めています。日本の人は、時間、手間、知識、全てを注ぎ、全力で向き合う。そんな、日本らしさが詰まった食品が求められているのです」と語ります。
岐阜県の醤油蔵の取締役・山川華奈子さんは、「今まで木桶でやってるっていうのが、業界的に遅れている存在だと感じていたものが、ちょっと自信がなくてっていうのがあったと思うんですけど、もっと自分たちに自信を持って魅力を伝えていけるようになった」と、この連携が各地の蔵元にとって自らの価値を再認識するきっかけとなったことを語っています。
私たちができる発酵食品を守る取り組み
では、私たち一般の消費者には何ができるのでしょうか。番組では具体的な行動が提案されました。
買い支えることの重要性
小倉ヒラクさんは、まず「買い支えること」を挙げています。シンプルですが、自分がピンと来たメーカーやお店で買うことが、最も直接的な支援になります。特に地域の発酵食品は、大手のように大量生産できないため、一人一人の購買行動が生産者の継続に直結します。
価格は大手製品より高いかもしれませんが、その背景には手間暇かけた製法と、蔵付き菌が生み出す独自の味があります。ヨーロッパでは1本数千円するバルサミコ酢がスーパーで売られているように、日本でも地域の発酵食品の価値を正当に評価し、適正価格で購入することが文化を守ることにつながるのです。
自分で作ってみる体験の価値
もう一つの提案は「自分で作ってみること」です。岩手の雪納豆では、地域の有志がデザインや編集など本業とは別の形で、作る機会を設けています。このように、継承の仕方は多様でいいのです。
対馬のせんだんごでは、内野昌孝さんと東京農業大学、対馬市が協力して、微生物を利用することで4ヶ月かかっていた製造期間を2週間に短縮する方法を見出しました。この省力化した方法で多くの人に作ってもらい、知ってもらう。一方で、伝統的な手作りのものは高い値段で売ることで、両立させることができます。
自分ができる範囲で作って、自分が歴史の担い手になるという意識を持つことが、文化を継承していく新しい形なのかもしれません。
産官学連携と国の支援の必要性
内野さんは、生産者の地道な努力だけでは限界があり、産業・地域・研究者、すなわち産官学が一体になってカバーする必要性を強調しています。国も微生物を知的財産として守る動きを始めていますが、まだ十分ではありません。
「できれば国が指揮を執って、国内の発酵食品を次の世代に繋げていただけたらありがたい」という内野さんの言葉には、専門家としての切実な思いが込められています。
まとめ
2025年10月29日放送のNHK「クローズアップ現代」は、日本の発酵食品が世界的なブームを迎えながら、地域の伝統的な発酵食品が存続の危機に直面している現実を浮き彫りにしました。
物価高、原料不足、気候変動、担い手不足など、複合的な要因が重なり、青森のごど、秋田のハタハタ寿司、沖縄の伝統味噌、対馬のせんだんごなど、各地で親しまれてきた発酵食品が消えようとしています。
失われるのは味だけではありません。蔵付き菌という再現不可能な微生物、未解明の健康機能の可能性、地域の文化や歴史、そして観光資源としての価値まで、多くのものが失われてしまうのです。
しかし希望もあります。小豆島の木桶醤油は、物語性とブランド化、全国25蔵の連携により、赤字経営から5年で輸出額3倍以上という奇跡的な復活を遂げました。この成功事例が示すのは、伝統の価値を正しく伝え、適正な価格で評価されることの重要性です。
私たち一人一人ができることは、地域の発酵食品を買い支えること、そして可能であれば自分で作ってみることです。発酵デザイナーの小倉ヒラクさんと東京農業大学教授の内野昌孝さんが番組で語ったように、継承の形は多様でいいのです。
当たり前の存在だからこそ目を向けづらい発酵食品ですが、一度失われれば二度と取り戻せない日本の宝です。世界が注目する今こそ、国を挙げて、そして私たち一人一人が、この貴重な文化を次世代に繋いでいく行動を起こす時なのではないでしょうか。
※ 本記事は、2025年10月29日放送のNHK「クローズアップ現代」を参照しています。



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