嫌な記憶はさらっと忘れ、楽しかった思い出だけ残したい──そんな願いに応える研究が『いまからサイエンス』で紹介されました。理化学研究所の長井淳先生が解き明かしたのは、脳細胞アストロサイトによる記憶の定着の仕組みです。本記事では番組内容を徹底解説し、あなたの学習や仕事、人生観まで変える可能性を持つ最新脳研究の全貌をお届けします。
いまからサイエンスが明かす記憶の定着の新常識とアストロサイトの正体
2026年4月22日にBSテレ東で放送された『いまからサイエンス〜記憶を自由に整理できる?脳研究最前線!〜』では、理化学研究所・脳神経科学研究センターの長井淳チームディレクターが登場し、これまでの脳科学の常識を覆す発見を披露しました。番組で明らかにされたのは、記憶の定着を司っているのは、従来主役と考えられてきた神経細胞「ニューロン」ではなく、「アストロサイト」と呼ばれるグリア細胞の一種だったという衝撃の事実です。
私たちの脳にはおよそ2000億個の細胞があり、その内訳はニューロンが1000億個、グリア細胞が1000億個と、ちょうど半々の割合で存在しています。1800年代にほぼ同時に発見されていながら、グリアは長らく「神経細胞の隙間を埋める糊(グルー)」としか考えられてきませんでした。その”脇役扱い”だった細胞こそが、実は感情を伴う記憶を選び取って脳に刻み込む「安定化スイッチ」だったのです。個人的に最も驚かされたのは、記憶をめぐる可能性がこれほど身近な形で拓かれつつあるという点です。「嫌な記憶だけ薄められるかもしれない」「努力が報われる学習法が見つかるかもしれない」──そんな未来が、空想ではなく科学の射程に入ってきたのです。
最新脳研究で判明したグリア細胞アストロサイトの驚きの役割
最新脳研究の世界では、長らくグリア細胞は地味な存在でした。番組で長井先生が語ったところによると、脳科学の学会でもニューロン研究の発表が圧倒的多数を占め、アストロサイト関連は「10対1、5対1」という少数派。長井先生自身が「ニッチ中のニッチ」と表現する分野です。
しかし、2〜30年前からグリア細胞にも活動があることが分かり始め、研究技術が整ったここ10年から15年で一気に注目が集まりました。アストロサイトの反応速度はニューロンの10倍から1000倍も遅いという特徴があり、これが従来の研究者から「意味がない」と軽視されてきた理由でもあります。ところが、この”遅さ”こそが記憶の定着の鍵を握っていたのです。ニューロンが1秒間に1000回のミリ秒単位で瞬間的に情報をやり取りする一方、アストロサイトは数時間から数日かけてじっくりと変化する。この時間差がなければ、人間は目に入るすべての情報に「わぁ!」と反応するだけの存在になってしまうでしょう。筆者が感じたのは、脳は「速さ」と「遅さ」の両方を備えた見事なバランス設計だということです。
理化学研究所・長井淳が解明した記憶の定着メカニズムとマウス実験の衝撃
長井淳先生が行った実験は、実にシンプルかつ鮮やかでした。マウスを特定の部屋に入れ、床に微弱な静電気をパチッと3回流します。マウスはその部屋を「怖い場所」として記憶します。このとき脳内で何が起きているかを、理研が誇る最新のイメージング技術で観察したのです。
1回目の体験では、ニューロンの活動量が約50%も増加しました。ところがアストロサイトはというと、体験前とほとんど変わらない状態。番組内で長井先生は「新しいラボでコロナ禍から始めて、みんな頑張ったのに、やばい、思ってたのと違うって愕然とした」と当時の心境を率直に語っています。しかし、翌日マウスを同じ部屋に戻して恐怖体験を「思い出させた」瞬間、驚くべきことが起きました。アストロサイトが大きく活性化したのです。加藤浩次さんも思わず「おら!めっちゃ動いてるじゃないですか!」と声を上げた場面でした。
この研究成果は、英科学誌『Nature』のオンライン版に2025年10月15日付で掲載され、九州大学・増田隆博教授らとの共同研究として世界的な評価を受けています。つまり番組の内容は、査読付き国際トップジャーナルに認められた、正真正銘の最先端科学だということです。
ニューロンとアストロサイトの違い|ノルアドレナリンと感情が記憶をめぐる可能性を広げる
では、なぜアストロサイトは1回目には反応せず、2回目に強く反応したのでしょうか。長井先生の解説によれば、アストロサイトは1回目の体験後、数時間から1日かけて、ゆっくりとノルアドレナリンを検知する受容体を増やしていたのです。これは瞬間的な反応しか見えない従来の観察方法では捉えられない、「じわじわ型」の変化でした。
人は驚きや恐怖などの感情を伴う出来事に遭遇すると、全身にアドレナリン、脳にノルアドレナリンを放出します。この物質が受容体を増やしたアストロサイトに届いたとき、記憶が初めて「定着」モードに入るというわけです。番組で加藤浩次さんが披露したサッカーのエピソード──高校時代に相手4人を抜いて左足でゴールを決めた一度きりの記憶が今も鮮明だというあの話は、まさにアストロサイトが働いた典型例。何度も後輩に自慢して感情を乗せて語り直したことで、ノルアドレナリン受容体が増え続け、記憶をめぐる可能性のど真ん中に刻まれたのです。
筆者が特に印象深かったのは、長井先生の「アストロサイトは保護者みたいだ」というたとえです。ニューロンを子供に例え、「たけしくんに1回殴られた」程度なら「偶然かもね」と冷静に受け止めるが、2回目が起きると「これは大事かもしれない」と判断する──この”一拍置いて判断する機能”こそが、人間らしい人格の成立に欠かせない脳の設計思想だと感じました。
アスリートのパフォーマンスと学習効率を高めるアストロサイト活用の未来
この発見が拓く未来は、私たちの日常に直結します。アスリートのパフォーマンス向上、学習効率の改善、そして医療への応用です。
番組内で長井先生は、スポーツ科学の世界で経験的に知られている「マストラーニング(集中練習)」と「スペーストラーニング(間隔をあけた練習)」の違いに言及しました。圧倒的に後者の方が学習効率が高いことはすでに判明しており、これはまさにアストロサイトが数時間から数日かけて受容体を増やす時間スケールと一致します。一夜漬けが定着しにくいのは、アストロサイトに準備の時間を与えていないから──と考えると、学生時代の苦い思い出にも科学的な納得がいきます。
長井先生は「アスリートの脳をスキャンしながらトレーニングすれば、オリンピックの成績がバンと伸びて新記録が出るかもしれない」と語りました。個人の脳の状態を計測し、その人に最適なタイミングで練習メニューを組む──いわば”テーラーメイド学習法”の実現です。また、予測していたことと違う予想外の衝撃が大きいほど記憶は深く定着するという「予測誤差」の話も示唆に富み、面白い本や映画を見て「えっ」と驚いた瞬間にこそ、ノルアドレナリンが噴き出してアストロサイトが働くわけです。
長井淳が語る「裏を観にいく」最新脳研究の哲学と病気の早期診断への夢
番組後半では、長井先生の人間的魅力が存分に発揮されました。幼少期はピアニスト志望で、音楽一家に育ち、姉が生まれつき脳の一部が小さい状態で生まれてきたことが脳科学への道を志すきっかけだったと語ります。ピアノの先生が人体解剖図を見せながら「自然な形に逆らわず跳ね返る力を使いなさい」と教えてくれたエピソードは、理系と芸術を融合させた独自の思考法を感じさせます。
長井先生の研究のゴールは、「病気という概念を変える」ことだそうです。アストロサイトはニューロンが機能を失うはるか前から変化を示すため、これを診断に使えば、病気が発症する前に予防できる可能性があります。PTSDやうつ、認知症などへの応用も期待されており、実際に2025年のNature論文でも精神疾患治療への展望が明記されています。
そして先生が語った「サイエンスとは『裏を観にいくこと』」という金言。「裏」の漢字は衣へんで元々「心」を意味し、「観」は神の視点で能動的に見ることを指すという解説には、研究者としての哲学が凝縮されていました。常識を疑い、データで裏付け、心の仕組みまで探っていく──最新脳研究の真髄がここにあります。
まとめ
『いまからサイエンス』で理化学研究所・長井淳先生が紹介したアストロサイトによる記憶の定着メカニズムは、私たちの脳観を根底から覆す発見でした。ニューロンが瞬間の情報処理を担い、アストロサイトが感情を伴う体験を時間をかけて選別・定着させる──この二層構造こそが、人間の記憶と人格を支える精巧な仕組みだったのです。アスリートのパフォーマンス向上や学習効率改善、さらには精神疾患の早期診断まで、記憶をめぐる可能性は無限に広がっています。長井先生の「裏を観にいく」姿勢は、私たちが日常の常識を見直す上でも大きなヒントをくれる気がします。
※ 本記事は、2026年4月22日にBSテレ東で放送された『いまからサイエンス〜記憶を自由に整理できる?脳研究最前線!〜』を参照しています。


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