2025年3月10日に放送されたNHK「クローズアップ現代」では、東日本大震災から14年を迎えた今、依然として思うように進まない企業の防災対策に焦点を当てました。番組では、仕事中に災害で命を落とした方々の遺族の声を通して、企業防災の現状と課題、そして今後の展望について深く掘り下げています。
この記事では、番組の内容をもとに、企業防災の重要性と遺族の声が社会を変える力について考察します。
東日本大震災から14年 – 企業防災の現状と課題
東日本大震災が発生したのは2011年3月11日の平日昼間、多くの人が仕事中でした。この震災は、働く人の命をどう守るかという課題を私たちに突きつけました。しかし、14年が経過した現在も、企業の防災対策は十分に進んでいないのが現状です。
企業が災害対策に取り組んでいるかどうかの目安となるBCP(事業継続計画)の策定率は、震災をきっかけに注目されるようになりましたが、2024年の調査では19.8%にとどまっています。この数字は、多くの企業が依然として災害対策に十分に取り組めていないことを示しています。
番組内でも、震災遺族の田村孝行さんが「自分の会社の防災対策は完璧だと思う会社の方、手を挙げてください」と会場に問いかけた際、手を挙げた人は一人もいませんでした。これは企業防災の難しさと現状の課題を如実に表しています。
2. 「仕事中の災害」で息子を失った田村さん夫妻の訴え
番組では、宮城県女川町で震災の経験を語り継ぐ田村孝行さんと弘美さん夫妻にスポットを当てています。田村夫妻は東日本大震災の際、当時25歳で地元の銀行に勤務していた息子の健太さんを失いました。
健太さんは地震発生直後、上司の指示で他の行員と共に銀行の屋上に避難しましたが、約35分後、予想を超える高さ約20mの津波に襲われ、同僚12人と共に犠牲となりました。しかし、銀行から徒歩4分ほどの場所には高台があり、そこに避難した人々の中には助かった命もありました。
「なぜ屋上だったのか?目の前にこんな高台があるのに」という疑問を抱いた田村夫妻は、銀行の災害対応マニュアルと実際の判断について疑問を持ち、他の遺族と共に銀行を提訴しました。4年間の裁判の末、銀行側が屋上を超えるような津波を予見することが困難だったとして敗訴となりましたが、この経験をきっかけに、田村夫妻は「命を最優先にした防災」の重要性を社会に訴え続けています。
「健太命の教室」と名付けた活動を通じて、田村夫妻は全国の企業を回り、防災の大切さを伝えています。彼らの願いは、同じ悲劇を繰り返さないこと、企業が命を最優先にした防災に真剣に取り組むことです。
3. 遺族の声が社会を動かした事例 – 日航機墜落事故と信楽高原鉄道事故
企業防災や安全対策において、遺族の声が社会や企業を動かした事例は少なくありません。番組では特に、日航機墜落事故の遺族である美谷島邦子さんの活動に焦点を当てています。
1985年に発生した日航機墜落事故では、乗員乗客合わせて520人が犠牲になりました。美谷島さんは当時9歳だった息子の健さんを亡くし、「なぜ起きたのか?なぜ防ぐことができなかったのか?命を助けられなかったのか?」という問いを持ち続けました。
当時は事故の原因究明や再発防止の検討から遺族は除外されていましたが、美谷島さんは21年間にわたって航空会社に働きかけ続けた結果、事故機体や遺品を展示する安全啓発センターの設置が実現しました。現在、このセンターは社員の安全教育に活用されています。
また、1991年に発生した信楽高原鉄道の事故では、42人の犠牲者の遺族たちの声が事故調査のあり方を変え、国土交通省の航空鉄道事故調査委員会(後の運輸安全委員会)の設置につながりました。
これらの事例は、遺族の声が社会システムや企業の安全文化を変える大きな力を持つことを示しています。
4. 命を守る企業防災に必要な「3つのK」とは – 永野海弁護士の提言
番組に出演した弁護士・防災士の永野海さんは、企業防災において命を守るために必要な「3つのK」を提言しています。
- 訓練(Kunren)
具体的に災害を想定し実際に行動することが重要です。静岡の銀行の事例では、避難ルートを実際に歩いてみることで、地図では気づかなかった坂道の存在や、高齢者が避難する際の時間的課題など、様々な問題点が浮き彫りになりました。こうした訓練を通じて、スキルやノウハウの不足という壁を乗り越えることができます。 - 価値観(Kachikan)
人命最優先の価値観を組織内で共有することが大切です。ある金融機関では、津波の恐れがある店舗は「人命最優先」の方針のもと、金庫もお店も閉めなくてよい、報告も不要、とにかく安全な場所に避難することをマニュアルに明記し、徹底した訓練を行っています。こうした取り組みを通じて、従業員に「命最優先でいいんだ」という価値観が浸透していきます。 - 風通し(Kazetooshi)
組織内の風通しが良いと、災害時に正しい選択をしやすく、間違った判断をした場合も軌道修正しやすくなります。例えば、釜石の小学校では、本来高台に避難する予定だったのに本番では校舎3階に避難してしまった際、若い教員がベテラン教員に「3階は違う、高台だ」と声をかけて軌道修正できました。この事例は、職場の風通しの良さが命を救った例といえます。
永野さんは、防災を「特別なもの」と考えるのではなく、日常の企業活動に組み込むことの重要性を強調しています。風通しの良い職場環境は防災だけでなく、日常業務においても若手社員からの新しいアイデアが生まれやすくなり、企業の競争力向上にもつながります。また、人命を最優先する姿勢は、「そういう会社なら自分も働きたい」と思われ、優秀な人材を引きつける効果もあります。
5. 企業防災の成功事例 – 静岡の銀行の取り組み
番組では、宮城県石巻市の大川小学校で84人の児童と教職員が犠牲になった事例をきっかけに、静岡の銀行が防災計画を見直した事例が紹介されています。
この銀行では、「誰が」「いつ」「どんな状況で」と具体的に災害を想定し、避難ルートを実際に検証することで、様々な課題を発見しました。例えば、地図では気づかなかった急な坂道があること、余震が続く中での安全な道の確保、高齢の顧客が避難する際の時間的課題などです。
特に重要なのは、本店の指示を待たずに各支店が独自に命を守るための判断ができるよう改善したことです。彼らは「従業員とお客様を守る命のマニュアル」を作成し、災害の種類に応じて避難場所を見直しました。例えば、津波の場合は高台の小学校、豪雨の場合は山から離れた市民センターというように、現場ごとの実情に応じた最善策を考えるマニュアルとしています。
八鍬晴康さん(静岡の銀行員)は「平常時から命がけで、本当に命を繋がなきゃいけない時の準備をする。現場現場で考えて、本部の指示がなくても動ける形にしていきたい」と語っています。
6. 職場の防災対策が進まない理由と解決策
全国1万社以上を対象にした調査によると、企業の防災対策が進まない理由として、スキル・ノウハウ不足、人材不足、時間不足、マニュアル重視の文化などが挙げられています。
これらの障壁を打破するためには、前述の「3つのK」の視点が有効です。例えば、スキル・ノウハウ不足は「訓練」を通じて克服できます。実際に避難ルートを歩いてみることで、マップ上では見えなかった問題点が浮き彫りになります。
また、「必要性を感じない」という課題に対しては、「価値観」の共有が重要です。遺族の声に耳を傾け、人命の尊さを実感することで、防災への意識が高まります。
さらに、「マニュアルありき」の文化を変えるには、「風通し」の良さが鍵となります。若手社員が主体となる訓練を実施するなど、日頃と逆転した取り組みを通じて職場の空気感を変えることが可能です。
永野さんは、防災を「コスパが悪い特別なもの」と捉えるのではなく、日常の企業活動に組み込むことの重要性を強調しています。風通しの良い職場環境や人命最優先の姿勢は、防災だけでなく企業の競争力向上や人材確保にもプラスに働くため、決して「コスパが悪い」わけではないと述べています。
7. 遺族の声を企業防災に活かす方法
番組でフォーカスされた田村夫妻や美谷島さんの活動からわかるように、遺族の声は企業防災に貴重な視点を提供します。では、こうした声をどのように企業防災に活かすことができるのでしょうか。
まず重要なのは、遺族の声に真摯に耳を傾けることです。田村夫妻が息子の健太さんを亡くした経験から訴える「命最優先の防災」の視点は、マニュアルやBCP策定だけでは得られない貴重な教訓です。
また、美谷島さんの事例が示すように、遺族と企業が対立するのではなく、時間をかけて対話を重ね、共に安全を築いていく姿勢が大切です。日航機墜落事故の事例では、遺族と航空会社の社員が共に慰霊登山を行い、「被害者も加害者もなく登る山」という場で心を開いた対話が生まれています。
永野さんは「健太命の教室」という名前に象徴されるように、亡くなった方々が「命を持って我々に考える教材、材料を与えてくれている」と受け止めています。こうした遺族の声は、法律には明記されていない「自然災害から従業員を守る」ための具体的指針を示してくれるものとして貴重です。
企業は遺族の声を「他人事」として聞くのではなく、自社の防災計画に反映させ、実際の訓練に活かすことが重要です。それにより、マニュアルだけでは気づかない「命を守る」ための具体的な行動指針が見えてくるでしょう。
8. まとめ – 仕事中の災害から命を守るために私たちができること
東日本大震災から14年が経過しましたが、企業防災の取り組みはまだ十分とは言えません。しかし、田村夫妻や美谷島さんをはじめとする遺族の方々の声は、私たちに「命を最優先にした防災」の重要性を教えてくれています。
企業防災を進める上で大切なのは、永野さんが提唱する「3つのK」—訓練(Kunren)、価値観(Kachikan)、風通し(Kazetooshi)です。具体的な災害を想定した訓練、人命最優先の価値観の共有、そして組織内の良好なコミュニケーションが、災害時に命を守る鍵となります。
最後に永野さんが語った言葉が印象的です。「最後は自分の本当に大切な人を守るんだと、この覚悟を決めないといけない」。そのエネルギーを得るためには、被災地を訪れ、遺族の声に耳を傾けることが大切だと言います。
今私たちが当たり前だと感じる社会の安全性は、遺族の方々の痛みや苦しみから得られる教訓に支えられています。「過去の記録が未来の命を守っていく」という田村さんの言葉を胸に、一人ひとりが本気で防災に向き合う時が来ているのではないでしょうか。
今年で東日本大震災から14年です。この機会に、職場や家庭での防災について今一度考え直してみてはいかがでしょうか。
※本記事は、2025年3月10日に放送されたNHK「クローズアップ現代」を参照しています。
・番組に出演された弁護士・防災士の永野海氏のHP(弁護士永野海〈防災いろとりどり〉)はこちら
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