2025年5月31日に放送されたテレビ東京系「ブレイクスルー」では、栃木県足利市の精密加工メーカー・エアロエッジの社長、森西淳氏の壮絶な人生ドラマが紹介されました。元不良少年から世界最先端の航空機エンジン部品製造を手がけ、さらに医療分野への展開を目指す”リアル下町ロケット”とも呼ばれる森西氏の物語には、多くの人が感動を覚えたのではないでしょうか。
森西淳の生い立ち|元不良少年からエアロエッジ社長への軌跡
森西淳氏の生い立ちは、決して順風満帆なものではありませんでした。高校を中退した元不良少年だった森西氏が人生を変えるきっかけとなったのは、一本の映画でした。
「ドラッグストア・カウボーイ」というマット・ディロン主演の映画で、主人公が更生するために工場で働くシーンを見て、深い感銘を受けたのです。森西氏は番組内で「やりたいことだけやって自由に生きてるときって、そこに甘んじることもできると思うんですけど、どっかで焦りがあって、このままでいいのかなっていう気持ちはずっと持ってた」と振り返っています。
この映画がきっかけとなり、森西氏は製造業の世界へ足を踏み入れることを決意しました。自分自身の将来への不安と映画のシーンがシンクロし、「違う生き方をしたい」という強い思いが、彼の人生を大きく変える転機となったのです。
菊地歯車での修行時代|恩師・中川原聖規との出会いが人生を変えた
森西氏が就職先として選んだのは、栃木県足利市にある菊地歯車という町工場でした。1940年創業の老舗企業で、自動車や建設機械、航空宇宙分野の歯車を製造する技術力の高い会社です。
ここで森西氏の人生を決定づけたのが、恩師である中川原聖規氏との出会いでした。中川原氏は森西氏を採用し、機械加工のイロハを一から教えてくれた恩人です。番組内で中川原氏は「真面目って言うか、熱心だった。本を見て、機械の説明書を見て自分で勉強して、自分でものにしてった」と当時の森西氏を振り返っています。
特に印象的だったのは、中川原氏が「古い中古機をぶっ壊れでもいいから好きに使え、壊れたら俺が責任とる」と言ってくれたことでした。この言葉に森西氏は深く感動し、昼夜を問わず仕事に励むようになったのです。
そんな努力が実を結び、入社から2年後、森西氏は会社の第二工場再建計画書を作成しました。中川原氏は「今のコンサルタントより立派なことが書いてある」と評価するほどの内容で、業界ナンバーワン、ローコストへの挑戦というスローガンのもと、現場全員で一丸となって協力していく決意が綴られていました。
エアロエッジ創業の背景|航空機産業への挑戦と独立への決意
菊地歯車で技術を身につけた森西氏でしたが、やがて歯車だけを作り続ける会社の将来に不安を感じるようになりました。衰退する日本の製造業の現状を目の当たりにし、より最先端の技術を求めて、なんと現場から営業職への移動を自ら申し出たのです。
この決断の背景には、最新設備の導入を提案しても「その仕事が菊地歯車にはないから導入できない」と断られた経験がありました。森西氏は「じゃあ私を営業に移してくれ、私がその仕事を取ってくるから、そしたら導入してくれるよね」という論理で営業への転身を実現させました。
2011年、フランスで開かれた航空ショーで、森西氏はフランスサフラン社の幹部たちに営業をかけました。当時製造開始が迫っていたエアバスのA320neoとボーイング737MAXの新型エンジンに使われるチタンアルミ製のタービンブレード。この受注は今後およそ30年は続く新規事業となる、まさに会社の未来を左右する大きな契約でした。
しかし、菊地歯車は土壇場でこの契約を辞退することになりました。初の海外との取引や為替の問題、コミュニケーションなど様々な不安から、会社として断念せざるを得なかったのです。森西氏は「航空機産業の中でも成功が確約されたプログラム、最大の仕事を取ってきたのに、それを諦める決断は我慢できなかった」と当時の心境を語っています。
この出来事が決定打となり、2015年、森西氏は仲間と共に菊地歯車を飛び出し、エアロエッジを創業しました。サフラン社との契約を引き継ぎ、見事に大量生産を成し遂げ、2023年には東証グロース市場への上場も果たしました。
医療分野への次なる一手|3Dプリンター技術で人工骨製造に参入
順風満帆に成長を続けるエアロエッジですが、森西氏は大きな経営課題を抱えていました。それは売上の実に9割をタービンブレードの製造に依存しているという単一商品への依存リスクです。
この課題を解決するため、森西氏が打った次なる一手が、最新鋭の3Dプリンターを活用した新事業の展開でした。まず取り組んだのが、航空機エンジンの補修事業です。レーザーで金属を溶かしながら積層していく技術により、破損した部位の形に合わせたオーダーメイドでの補修が可能になりました。
そして、この技術を応用して挑戦しているのが医療分野です。森西氏は「この技術が一番必要とされてる今日の分野は医療です」と断言し、人工骨インプラントの製造に乗り出しました。
現在の人工骨は輸入品が多く、サイズもL・M・Sといった規格サイズしかありません。しかし、人それぞれ骨の形は違います。3Dプリンター技術を活用することで、患者一人ひとりの骨の形状をスキャニングし、その人だけのための人工骨を作ることができるのです。
頭蓋骨だけでなく、関節など激しく動く部位でも硬いチタンアルミで個人に合わせた形状が作れます。さらに、拒否反応が少ないため組織を再生する土台としても活用できるという画期的な技術です。メッシュ状やザラザラした部分は細胞の培養に適しており、そこに細胞が付着して培養していき、一体化するという革新的な仕組みになっています。
ブレイクスルーを生む技術革新|宇宙産業への展開と未来への展望
森西氏の挑戦は医療分野にとどまりません。宇宙産業への展開も視野に入れています。「衛星であったり、月に着陸したランダーやローバー走行機、その他に宇宙空間での推進機だとか、やる価値は十分あると思ってます」と語る森西氏。
宇宙産業で働く若いベンチャー企業の人たちと一緒に仕事することを「楽しい」と表現し、情熱を持った人たちとの協業を心から楽しんでいる様子が伝わってきます。
エアロエッジの成功の背景には、2018年のボーイング737MAX墜落事故や新型コロナウイルスの影響で航空機需要が激減した際の対応がありました。森西氏は「私たちも仕事は半減どころか、ある種なくなりました」と振り返りますが、この危機を逆にチャンスと捉え、2年間を改善に当てました。
トヨタ自動車のOBを講師に招き、トヨタ式改善を徹底して導入。「ムダ・ムラ・ムリ」を徹底的に排除し、人のスキルに依存しない、誰が作っても同じものができる量産ラインを構築しました。この結果、工場を極少人数で24時間稼働させることが可能になり、筋肉質な組織を作り上げることに成功したのです。
森西氏は日本の製造業について「技術を安売りしちゃいけない」と強調します。「私たちしかできない、私たちしか作れない、その価値を納得していただいて、できるだけ価値のある金額で買っていただく。中小企業でも戦わないとだめだと思ってます」という言葉からは、日本のものづくりに対する強い信念が感じられます。
まとめ
森西淳氏の生い立ちから現在までの軌跡は、まさに「ブレイクスルー」という言葉にふさわしい挑戦の連続でした。元不良少年から世界最先端の航空機エンジン部品製造を手がけ、さらに医療分野や宇宙産業への展開を目指すエアロエッジの物語は、多くの人に勇気と希望を与えています。
菊地歯車での修行時代に恩師・中川原聖規氏から学んだ技術と精神、そして「挫けた姿を見せないこと」を信念に、仲間と共に歩み続ける森西氏の姿勢は、現代の日本のものづくり企業にとって大きな示唆を与えています。
技術を安売りせず、自分たちにしかできない価値を追求し続ける森西氏とエアロエッジの今後の展開から、ますます目が離せません。栃木の町工場から世界へ、そして宇宙へと羽ばたく”リアル下町ロケット”の挑戦は、これからも続いていくのです。
※ 本記事は、2025年5月31日に放送(テレビ東京系)された人気番組「ブレイクスルー」を参照しています。
※ 前回の放送分(2025年5月24日放送「ブレイクスルー」)のまとめはこちらへ
※ エアロエッジのHPはこちらへ
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