2026年3月12日放送のカンブリア宮殿は、日本酒「獺祭」の特集でした。山口県の小さな酒蔵から世界的ブランドへと成長した獺祭は、なぜここまで躍進できたのでしょうか?この記事では、番組で語られた桜井博志会長・桜井一宏社長親子の挑戦と、ニッポンの食がグローバル化する可能性について、獺祭と一風堂の事例をもとに徹底解説します。
カンブリア宮殿で紹介!獺祭が売上4倍に躍進した理由
2026年3月12日放送のカンブリア宮殿に登場したのは、日本酒「獺祭」を手がける株式会社獺祭(旧・旭酒造)の桜井博志会長(75歳)と桜井一宏社長(49歳)の親子です。
番組では、獺祭が前回出演した2014年時点の売上高51億円から、213億円へとなんと約4倍にまで成長した軌跡が紹介されました。海外への輸出額は79億円に達し、これは日本酒メーカーとしてトップの数字です。
もともと獺祭は、山口県岩国市の山奥にある小さな酒蔵で作られていた地方の日本酒でした。それが今では、ニューヨークやパリの一流レストランで提供され、2025年のアカデミー賞授賞式後の祝賀会メニューにも採用されるなど、文字通り世界のブランドになっています。
ここまでの躍進の背景には、「品質で突破する」という揺るがない哲学、データを活用した独自の酒造り、そして海外市場をゼロから切り拓いた地道な営業がありました。この記事では、番組の内容を掘り下げながら、獺祭の成功の本質に迫っていきます。
桜井博志会長が挑んだどん底からの「品質突破」戦略
獺祭の物語は、華やかな成功譚とはほど遠いところから始まっています。
1984年、桜井博志氏は父親の急死により、前身の旭酒造を継ぎました。当時の売上高は10年前の3分の1にまで落ち込んでおり、まさにどん底の状態。地元向けの大衆酒を作る小さな酒蔵に過ぎませんでした。
桜井会長は、安いカップ酒を作ったり、地元山口の名産品であるフグに合う酒を開発したりと、さまざまな手を打ちました。しかし、どの試みも長くは続かなかったそうです。値引き合戦に巻き込まれても消耗するだけ。そこで桜井会長がたどり着いた結論が「品質で突破するしかない」という信念でした。
挑んだのは、日本酒の最高峰ともいえる「純米大吟醸」。50%以下に磨いた酒米と米麹で作る贅沢な酒です。完成までに6年もの歳月がかかりましたが、1990年にようやく「獺祭」として販売を開始しました。
ただし、その後も順風満帆ではありません。1999年には地ビール事業に手を出して大失敗し、倒産寸前にまで追い込まれます。この窮状を見て、酒造りの現場責任者である杜氏にも去られてしまったのです。
しかし、振り返ってみると、この最大の危機こそが獺祭を「獺祭たらしめた」ターニングポイントでした。個人的に、逆境をただ耐えるのではなく、逆境そのものを進化の原動力に変えたところに、桜井会長の経営者としての真骨頂があると感じます。
データと職人技の融合で進化する獺祭の酒造り
杜氏を失った旭酒造(当時)が選んだのは、データに基づく酒造りという、当時としては画期的なアプローチでした。
桜井会長は、すべてのタンクで糖度やアルコール濃度などの途中経過を数値化し、そのデータをもとに社員だけで酒を造る体制を確立しました。杜氏の経験や勘に頼るのではなく、「見える化」されたデータを指標にすることで、純米大吟醸の大量生産を可能にしたのです。
これは当時の業界の常識を覆す発想でした。純米大吟醸は少量生産が当たり前とされていた時代に、データの力で量産化に踏み切ったのですから。都内の老舗酒店「酒の勝鬨」の堀口潤一さんも番組で、「手頃な価格で純米大吟醸が飲めるようになったのは大きい」と、獺祭が業界に与えたインパクトを語っています。
そして現在、その酒造りはさらに進化を遂げています。番組で紹介された醸造チームリーダーの村田大輝さん(入社10年目)は、毎朝データを確認しながら冷却の加減を判断していきます。ただし、決まったマニュアルはなく、過去のデータと照らし合わせながら自分で考えて判断する。まさに「データ×職人技」のハイブリッドです。
桜井会長は番組でこう語っていました。デジタル機器の発達により0.1度、0.1%という微細な数値まで見えるようになると、皮肉なことに「機械より人間の方が酒造りが上手だ」ということが分かったと。データはあくまで「武器」であり、それを使いこなす人間の経験値こそが最終的な品質を左右するというわけです。
この考え方は、AIやデータ活用が叫ばれる現代のビジネス全般にも通じる示唆だと思います。データを集めるだけでは不十分で、そのデータを「乗り越えていく」人間の力がなければ、本当のブレイクスルーは生まれないということです。
最高を超える山田錦プロジェクトで原料も極める
獺祭の原料は、すべて「酒米の王者」と呼ばれる山田錦です。しかし山田錦は稲の背が高く風で倒れやすい上に病気にもかかりやすく、栽培が非常に難しい品種。そのため生産する農家が少なく、質のいい山田錦を安定確保することが長年の課題でした。
この課題を打破するために2019年から始まったのが「最高を超える山田錦プロジェクト」です。全国の農家から山田錦を募り、粒揃いや心白の小ささなど、美味い酒になる特性を持つ米を選ぶコンテスト形式のイベントです。
番組では、2024年にグランプリを獲得した栃木県の農家・五月女文哉さんが紹介されました。その際の買い取り価格は、なんと相場の20倍以上。60俵で3000万円という破格の金額でした。五月女さんも「一俵50万円というのは、生産者にとって夢のある話」と語っています。
このプロジェクトで優勝した山田錦で造った特別な獺祭は、世界的オークション「サザビーズ」にも出品されています。2020年には一本84万円、2022年には115万円で落札されるなど、日本酒が高級ワインと同じ土俵で評価される時代が来ていることを示しています。
桜井会長がこのプロジェクトを始めた動機も興味深いものでした。全国の農家に山田錦の栽培をお願いして回ったところ、「補助金をもらうのと山田錦を作るのとどっちがいいのか」という話ばかりだったそうです。農家に米作りへの夢を取り戻してもらうために、「驚くような価格をつけてみんな本気にさせる」ことが必要だと考えたのです。
単に原料を確保するだけでなく、農家の意欲まで引き上げる仕組みを作る。このビジョンの広さが、獺祭というブランドの厚みを支えていると感じます。
桜井一宏社長が切り拓いた獺祭の海外販路
獺祭の海外展開を語る上で欠かせないのが、四代目の桜井一宏社長の存在です。
一宏社長は、早稲田大学を卒業後、東京のメーカーに就職。当初は酒蔵を継ぐ気はなかったそうです。学生時代に仕送りの代わりに酒が送られてくるほど経営状態が厳しく、家業の大変さを肌で感じていたからです。
しかし、仕事帰りに飲みに行った際に獺祭を見つけ、久しぶりに飲んだその美味しさに衝撃を受けます。そして周囲のお客さんが獺祭を飲んで笑顔になる姿を見て、「酒はお客さんにとっての価値になるんだ」と実感し、2005年に入社を決めました。
獺祭の海外販路開拓は、ほぼすべて一宏社長が担ってきました。入社前年の海外輸出は年間でわずか数百ケース。入社2年目には単身ニューヨークに渡り、日本食レストランを一軒一軒回って営業したそうです。
面白いのは、一宏社長がもともと海外進出に反対だったというエピソードです。学生時代に海外旅行先で飲んだ日本酒の保存状態がひどく、「輸出なんて無理」と思っていたとのこと。しかし、実際に現地で獺祭を振る舞うと、お客さんがパッと笑顔になる。しかも英語が苦手な分、相手の表情を一生懸命見るようになり、その表情が変わる瞬間に可能性を感じたのだそうです。
この地道な営業の積み重ねが、海外輸出額79億円という日本酒メーカートップの実績につながっています。父の桜井会長がかつて東京で居酒屋を一軒一軒回って獺祭を広めたのと同じスタイルを、息子が海外で再現しているのです。「お客さんが好きになってくれないと、どんなマーケティングでも売れない」という会長の言葉には、時代を超えた商売の本質があると思います。
ニューヨーク蔵と獺祭ブルーが示す食文化の未来
獺祭の海外戦略は今、新たなステージに入っています。その象徴が、2023年にオープンした「ニューヨーク蔵」です。
日本と同じ設備を導入した海外初の製造拠点で、現地採用のアメリカ人スタッフと日本から派遣されたスタッフが共同で酒を造っています。ここで完成したのが「獺祭ブルー」。日本の獺祭よりアルコール度数を低めにし、甘口に仕上げた、まさにアメリカ市場向けの一本です。
番組では、一宏社長がマンハッタンのイタリアンレストランに獺祭ブルーを売り込む姿が映されました。マネージャーは試飲すると「フレーバーも上品で申し分ない。ボロネーゼやラムチョップに合いそうだ」と高評価。日本食だけでなく、イタリアンやフレンチとの相性も認められたのです。
ただし、ニューヨーク蔵の立ち上げは決して順風満帆ではありませんでした。2017年に建設を決断してから完成までに6年。アメリカの規則への対応やトラブルが相次ぎ、当初30億円だった総工費は85億円にまで膨らんだそうです。会長から「甘いねー」と言われたという一幕は、番組に笑いを誘う場面でしたが、海外進出のリアルな厳しさを物語っています。
さらに2024年には、ミシュラン三つ星シェフのヤニック・アレノ氏とタッグを組み、パリにフレンチと和食を融合したレストラン「ル・イザカヤ・ダッサイ」もオープン。獺祭は日本酒を「日本食のための酒」から「世界の食文化に溶け込む酒」へと変えようとしています。
桜井会長は番組で、目標売上について「1000億円がスタートライン」と明言しました。日本のハイクオリティなブランドが世界で存在感を持つには、それくらいの規模が必要だと。この言葉は大きく出たようにも聞こえますが、社名を2025年に「株式会社獺祭」に変え、「世界のDASSAI」として動き出した覚悟を考えると、単なる夢物語ではないと感じさせます。
一風堂も実践!ニッポンの食のグローバル戦略
番組ではもう一つ、ニッポンの食を世界に発信する企業として、ラーメンチェーン「一風堂」を展開する力の源ホールディングスも紹介されました。
一風堂は創業40年を迎え、国内171店舗、海外141店舗を展開。売上の4割を海外で稼ぐ実力派です。海外戦略の足がかりとなったのは、やはりニューヨーク。2008年にオープンした海外1号店を皮切りに、世界へと広がっていきました。
注目すべきは、その柔軟な現地対応力です。2025年にニューヨークのブルックリンにオープンした「ippudo V」は、なんと動物性食材を一切使わないヴィーガン専門店。豆乳ベースのスープに香味油や辛味噌で深い味わいを出し、健康志向の強いニューヨーカーに大ヒットしています。
さらに、インドネシアではイスラム教徒が食べられるハラル対応の店舗を展開。豚やアルコールを使わず、鶏や魚介でスープを作るという徹底ぶりです。
創業者の河原成美会長は「ラーメンという日本を代表する食文化を世界中に広げるのが夢」と語っていました。また、海外ではラーメンの食べ方自体が異なり、サッと食べて帰るのではなく、ゆっくり座って楽しむスタイルが求められるため、高級レストランのような雰囲気の新業態「五行 Gramercy」もニューヨークに出店しています。
獺祭と一風堂、ジャンルは違えど共通するのは、「日本の味をそのまま押し付けるのではなく、現地の文化やニーズに合わせて進化させている」という点です。これこそが、ニッポンの食がグローバル化する上での重要な成功法則ではないでしょうか。
まとめ
今回のカンブリア宮殿では、獺祭と一風堂という二つの企業を通して、ニッポンの食がもつグローバル化の可能性が力強く描かれていました。
獺祭の桜井博志会長は番組の最後に、「手間をかけなければいい酒にならない。手間をかけてものを作るといいものができるというのは、人間にとって優しい。それだけ人間がいるということだから」と語っています。
効率化やコスト削減が叫ばれる時代に、あえて「人の手」にこだわる。しかし、それはデータを否定するのではなく、データと人間の力を掛け合わせて最高を目指す姿勢です。倒産寸前から売上213億円、さらに1000億円を目指す獺祭の挑戦は、ニッポンの食文化が世界に通用するという力強い証明であり、これからも目が離せません。
※ 本記事は、2026年3月12日放送(テレビ東京系)の人気番組「カンブリア宮殿」を参照しています。
※ 株式会社 獺祭の公式サイトはこちら。
※ ラーメン 一風堂の公式サイトはこちら。





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