2025年11月21日放送のBSテレ東「夢遺産」に、ミライスピーカー社長の山地浩氏が登場しました。「2000年続く会社」という壮大な夢を掲げる山地氏は、どのような想いでこの事業に取り組んでいるのでしょうか。本記事では、番組で語られた山地氏の経歴や経営戦略、そして聞こえのサポートに込めた理念を詳しく紹介します。この記事を読めば、テクノロジーで人々の暮らしを支える企業の未来像が見えてきます。
ミライスピーカー山地浩社長が夢遺産で語った「聞こえ」への想い
2025年11月21日にBSテレ東で放送された「夢遺産」で、ミライスピーカーの山地浩社長(63歳)が自身の夢を語りました。山地氏は高知県出身で、現在は言葉の聞き取りやすさを追求したスピーカー事業を展開しています。
番組の中で山地氏が繰り返し強調していたのは、「困っている人の役に立つ」という想いです。年齢を重ねると誰もが経験する聴力の衰え。そんな課題に対して、テクノロジーでサポートすることで「少しでも明るく前向きに暮らせるようになる」という信念が、山地氏の事業の根幹にあります。
実際、ミライスピーカーを使用したユーザーからは感謝の手紙が届くほど。山地氏は「やっぱ困ってる人の役に立つっていう手応えがすごくあって。もうそのためにやってるようなもんですよね」と語り、社会貢献への強い意志を示しました。
この「聞こえ」へのこだわりは、単なるビジネスではなく、山地氏の人生哲学そのものと言えるでしょう。
曲面サウンド技術とは?言葉の聞き取りやすさを追求したスピーカー
ミライスピーカーの最大の特徴は、「曲面サウンド」という特許技術です。この技術は、言葉の聞き取りやすさに特化して開発されました。
通常のスピーカーは音量を上げることで聞こえやすくしますが、それでは音が割れたり、周囲への配慮が必要になったりします。一方、曲面サウンド技術を搭載したミライスピーカーは、音量を上げなくても言葉がクリアに聞き取れるという点が画期的です。
特に高齢者や聴力に不安を抱える方々にとって、テレビの音声が聞き取りにくいという悩みは深刻です。家族と一緒にテレビを見ていても、自分だけ音量を上げてほしいと言いづらい。そんな小さなストレスを解消できるのが、このスピーカーの強みです。
山地氏が2018年に社長就任する以前から、この技術は存在していましたが、山地氏の経営手腕によって一気に知名度が高まりました。技術力だけでなく、それをどう届けるかという戦略が、ミライスピーカーの成功を支えています。
山地浩の経歴:10ヶ月で退職から新規事業立ち上げの連続
山地浩氏のキャリアは、決して順風満帆ではありませんでした。北海道大学を卒業後、自動車部品などを扱う世界的企業に入社しましたが、わずか10ヶ月で退職しています。
「あ、これ歯車だなと思って。自分らしく楽しく生きるっていうのは難しいなと思って」という山地氏の言葉からは、大企業の組織の中で個性を発揮できないもどかしさが伝わってきます。
その後、山地氏は転職を繰り返しながら、それぞれの会社で新規事業を立ち上げるという独自のキャリアを築きました。ゲーム会社では携帯を使ったゲームの新規事業計画を作成し、ビデオレンタル会社ではオンラインレンタルビジネスを立ち上げています。
このような経験の積み重ねが、後のミライスピーカーでの経営に活かされることになります。新しいビジネスモデルを生み出す力、市場のニーズを読み取る力、そして何より「自分らしく生きる」という信念。これらすべてが、山地氏の強みとなっているのです。
北海道大学寮生活が原点「自分らしく世の中の役に立ちたい」
山地氏の人生観の原点は、北海道大学時代の寮生活にあります。番組では「非常にまあユニークな、あの、人間も集まっていて」と当時を振り返り、そこで得た気づきを語りました。
「あ、自分も個性的に、自分らしく生きたいなとか、あるいは少しでもこう、世の中の役に立つようなことをしたいなというふうに考えるようになりました」という山地氏の言葉には、若き日の純粋な志が表れています。
この「自分らしく生きる」と「世の中の役に立つ」という2つの軸は、山地氏の人生を貫くテーマとなりました。大企業を10ヶ月で辞めたのも、転職を繰り返したのも、すべてこの信念に基づいた選択だったのです。
寮生活で多様な価値観に触れたことが、山地氏の視野を広げ、既成概念にとらわれない柔軟な思考を育てたと言えるでしょう。この経験がなければ、今のミライスピーカーも存在しなかったかもしれません。
2018年社長就任後の戦略:小型化・低価格化・ネット直販で急成長
山地浩氏は2018年にミライスピーカー(当時はサウンドファン)の社長に就任すると、すぐに大胆な経営改革に着手しました。それまでの経験を活かし、3つの戦略を同時に進めたのです。
第一に、製品の小型化と低価格化です。「まずその小さくて安い奴を、安く売れるモデルを、開発を始めました」と山地氏は語っています。高機能でも高額では、本当に必要としている人に届きません。価格を抑えることで、より多くの人が手に取れるようにしたのです。
第二に、ネット直販の導入です。「で、同時に、じゃあネットの直販をしようと。よけい、すると安く売れますから」という判断は、中間マージンを省き、さらなる低価格化を実現しました。
この2つの戦略により、ミライスピーカーの知名度と売上は一気に上昇しました。従来は一部の人しか知らなかった製品が、ネットを通じて全国の必要とする人々に届くようになったのです。
山地氏の経営判断の鋭さは、市場のニーズを正確に捉え、それに応える最短ルートを見つけ出す能力にあります。この戦略こそが、ミライスピーカーを成長軌道に乗せた原動力と言えるでしょう。
ユーザーからの感謝の手紙「困っている人の役に立つ手応え」
ミライスピーカーの成功を物語るエピソードとして、山地氏が番組で語ったのが、ユーザーからの感謝の手紙です。
「やっぱ困ってる人の役に立つっていう手応えがすごくあって。もうそのためにやってるようなもんですよね」という山地氏の言葉からは、事業への深い誇りと喜びが伝わってきます。
聴力の衰えは、本人だけでなく家族にも影響を及ぼします。テレビの音量が大きすぎて家族が困る、会話が聞き取れずコミュニケーションが減る。こうした小さな悩みが、実は日常生活の質を大きく下げているのです。
ミライスピーカーを使うことで、「家族と一緒にテレビが楽しめるようになった」「会話がスムーズになった」といった声が寄せられています。これこそが、山地氏が学生時代から抱き続けてきた「世の中の役に立ちたい」という夢の実現です。
利益だけを追求するのではなく、本当に困っている人を助けるという姿勢。これが、ユーザーの心を掴み、ミライスピーカーのブランド価値を高めている要因と言えます。
山地浩が描く夢遺産「2000年続く会社」とテクノロジーでサポートする未来
番組の最後で、山地浩氏は自身の「夢遺産」を語りました。それは「2000年続く会社」です。
一見すると非現実的とも思える長期ビジョンですが、そこには山地氏の深い哲学があります。「やっぱり目が悪くなったり耳が遠くなったりとか、機能の衰えっていうのは多かれ少なかれ出てくるわけで、テクノロジーでサポートして、まあ少しでも明るく前向きに暮らせるようになると、それはやっぱり素敵なことだと思うんですよね」という言葉に、その思想が凝縮されています。
人間の身体機能の衰えは避けられません。しかし、それを悲観的に捉えるのではなく、テクノロジーでサポートすることで、年齢を重ねても豊かに暮らせる社会を作る。これが山地氏のビジョンです。
2000年という時間軸は、短期的な利益ではなく、長期的な社会貢献を目指す姿勢の表れです。今すぐには実現できなくても、その理念を受け継ぎ、世代を超えて社会に価値を提供し続ける企業を目指す。これこそが、山地氏が「夢遺産」として未来に残したいものなのです。
ミライスピーカーは、聴力サポートから始まりましたが、今後は視力や運動機能など、さまざまな分野への展開も考えられます。テクノロジーで人々の生活を支えるという軸がぶれない限り、この会社の成長は続くでしょう。
まとめ
BSテレ東「夢遺産」で紹介されたミライスピーカー社長・山地浩氏の物語は、単なる成功譚ではありません。北海道大学での寮生活で芽生えた「自分らしく、世の中の役に立ちたい」という想いが、10ヶ月での退職や転職の連続、そして新規事業の立ち上げという経験を経て、ミライスピーカーという形で結実したのです。
曲面サウンド技術という特許を武器に、小型化・低価格化・ネット直販という戦略で急成長を遂げた同社は、今やユーザーから感謝の手紙が届くほど社会に貢献しています。
そして山地氏が掲げる「2000年続く会社」という夢遺産は、テクノロジーで人々の暮らしを明るく前向きにサポートし続けるという、普遍的な価値を追求する企業の姿を示しています。この理念こそが、ミライスピーカーの真の強みであり、未来への道標なのです。
※ 本記事は、2025年11月21日放送のBSテレ東「夢遺産」を参照しています。
※ 株式会社ミライスピーカーの公式サイトはこちら



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