2025年8月27日に放送されたNHK「クローズアップ現代」で特集された「ドラッグ・リポジショニング」が、医療界で大きな注目を集めています。この既存薬に新たな効能を見出す手法が、AIの力で劇的に進化し、私たちの医療に革命をもたらそうとしています。番組で紹介された事例や専門家の見解を通じて、この画期的な技術革新の全貌を詳しく解説いたします。
ドラッグ・リポジショニングとは?AIアルファフォールドが切り拓く既存薬革命の核心
ドラッグ・リポジショニングとは、すでに承認されている既存薬に新たな効能を発見し、別の疾患の治療薬として開発する手法です。番組では「薬の再配置」という意味で紹介され、これまで特効薬がなかった病気にも効く可能性が生まれていることが明らかになりました。
この技術が注目される最大の理由は、開発効率の圧倒的な向上にあります。従来の新薬開発では、研究から承認まで10年以上の期間と数百億から数千億円の費用が必要とされ、成功率はわずか1/30000という極めて困難な道のりでした。
しかし、ドラッグ・リポジショニングでは、すでに安全性が確認された既存薬を使用するため、臨床試験の一部を省略できます。番組で紹介された事例では、初期の研究期間を8年近くから1年半に短縮し、20億円以上かかる費用も1億円以下に抑えられる可能性があることが示されました。
特に画期的なのは、2024年にノーベル化学賞を受賞したAI「AlphaFold(アルファフォールド)」の活用です。このAIは、タンパク質の立体構造を高精度に予測する技術で、ドラッグ・リポジショニングの可能性を飛躍的に拡大しています。これまで不可能だった膨大な数のタンパク質に対する薬剤の相互作用予測が可能となり、まさに「既存薬革命」と呼ぶべき変革が始まっているのです。
アスピリンで大腸がん予防?クローズアップ現代が紹介した驚きの臨床研究事例
番組の中で最も印象的だったのは、44歳の有香さんのケースです。家族性大腸腺腫症という遺伝性の難病を患う彼女が、解熱鎮痛薬のアスピリンを使った大腸がん予防の臨床研究に参加しているという事例が紹介されました。
家族性大腸腺腫症は、大腸にポリープが多発し、悪化すると大腸がんで亡くなる人も多い深刻な病気です。これまで抜本的な治療薬はなく、患者は大腸を全て摘出するか、定期的にポリープを切除し続けるしかありませんでした。有香さんは生活への影響を考慮し、定期的な切除を選択していましたが、いつがんになるか分からない不安を抱えていました。
アスピリンの服用を開始して1年4か月後の検査で、驚くべき変化が観察されました。以前は多かった5ミリほどのポリープが一つもなくなり、全体的に小さくなっていたのです。京都府立医科大学特任教授の石川秀樹医師によると、「このように盛り上がったポリープは全くなく、平べったい状態で、大体大きさ2mmぐらいになります」という改善が見られました。
さらに別の臨床研究では、アスピリンを服用した患者は服用しない患者に比べ、5mm以上のポリープができる割合が半分以下になったという具体的なデータも示されました。石川医師は「確かに非常に(ポリープが)減って、他の患者さんも、すごく減って喜んでいただいてる人たくさんいるんです」とコメントしており、ドラッグ・リポジショニングの実用的な効果が実証されつつあります。
ただし、番組では重要な注意点も強調されました。この解熱鎮痛薬の新たな効能についてはまだ国の承認を得ておらず、個人の判断で大腸がん予防として服用すると重大な副作用をもたらすリスクがあるため、絶対に避けるべきだということです。
AIアルファフォールドによる新たな効能発見の仕組み-559種類の予測結果
2024年にノーベル化学賞を受賞したAI「AlphaFold」を使った薬の新たな効能予測が、ドラッグ・リポジショニングを劇的に加速させています。名古屋大学大学院情報学研究科教授の山西芳裕さんが行った研究は、この技術革新の可能性を如実に示しています。
人間の体内には様々なタンパク質があり、その形は立体的な構造になっています。病気の原因に関わるタンパク質にぴったりと合う薬の化合物を組み合わせることができれば、病気の抑制などにつながります。しかし、多くのタンパク質はその立体構造が明らかになっていませんでした。
山西教授の研究チームは、AlphaFoldを使って約1万7000の立体構造を予測し、これに既存の薬約8000種類を総当たりで掛け合わせるシミュレーションを実施しました。立体構造のポケットと呼ばれる穴を探し、そこに当てはまる薬を探していく手法です。
この画期的な研究により、動脈硬化が引き起こす心血管疾患に2型糖尿病の薬が効く可能性が発見されました。また、根本治療が見つかっていない難病であるパーキンソン病に対しては白血病の薬の1つが効能がありそうだということが分かりました。
最終的に、既存の薬から実に559種類もの新たな効能が予測されるという驚異的な結果が得られたのです。山西教授は「これまで不可能だったところがほとんどのタンパクに対して相互作用の予測をする可能性が出てきたというのは、非常に大きいことなんじゃないかなと思います。医薬品開発を進める上でのこうデータの幅が広がったというブレークスルー」とその意義を語っています。
このAI技術により、従来は研究員個人の知識や経験に依存していた候補薬剤の探索が、膨大なデータベースと高精度な予測能力を活用した網羅的で多角的な評価・検証へと進化したのです。
薬価制度の壁とは?間宮弘晃氏が指摘する既存薬開発の課題
番組に出演した立命館大学准教授の間宮弘晃氏は、ドラッグ・リポジショニングの大きな可能性と同時に、深刻な構造的課題についても詳しく解説しました。
間宮氏によると、ドラッグ・リポジショニングには明確なメリットがあります。「開発のハードルが低いので、新薬ではなかなか着手できないようなニッチな分野にも手が出しやすいという面があります。希少な難病なんかの治療薬がない病気に対しても新たな選択肢を与えることができる」と述べています。
また、パンデミックなどが起きた時の迅速な対応も可能で、実際に新型コロナウイルスが発生した際には、元々エボラウイルスに対して開発されていたレムデシビルがコロナに効くことが分かり、日本で一番初めに承認されたという成功例もあります。
しかし、最大の課題は薬価制度にあります。日本では薬価は企業が自由に付けられるものではなく国が定める仕組みになっており、新薬の薬価は当初は高額でも年の経過とともに下がっていきます。ドラッグ・リポジショニングで作られた薬は元の既存薬の薬価に大きな影響を受けるため、すでに安くなった既存薬を使った場合、発売当初から薬価が低くなってしまうのです。
間宮氏は「うまくいくケースとしては、この臨床試験で使った薬というのが、例えばまだ価格がそこまで下がりきっていないものだったり、まだ特許が残っていると。そういうようなものについては、その企業も取り組みやすい」と分析しています。
一方で、「医師などが行うものについては、自分たちの使い慣れた古くからある安全な薬っていうのが使われる傾向もあったりしますので、そういったものですと、例えば特許が切れてしまっているとか、すでに薬価が落ちてしまっていると。そういったものだとなかなかその企業としてはなかなか臨床試験に乗り出せない」という構造的な問題があることも指摘しています。
企業が開発をためらう理由-千田裕一郎氏らが語る収益性の問題
大阪にある創業137年の中規模製薬メーカー、丸石製薬の研究本部リーダーである千田裕一郎氏の事例は、企業側の視点からドラッグ・リポジショニングの可能性と課題を浮き彫りにしています。
同社は新薬開発と合わせてAIによるドラッグ・リポジショニングに本格的に乗り出しました。千田氏は「AIならば短時間で効率的に導くことができると判断しました」と述べ、「(AIがなければ)今回の疾患Dみたいなのにトライしようという気は多分起こらなかったなという思いは思っております」とAI技術の重要性を強調しています。
効能の予測を依頼したのは、AI専門企業のFRONTEOです。同社の取締役CSOである豊柴博義氏は、「(薬学などの)文献の中には直接書かれてないけれども、大量に他の文献を読んだりするとそこに関連があるんじゃないかっていうのを見つけ出すっていうところで、今までこう見つけ出せなかった疾患に対するお薬であったり、ビジネスのチャンスあると思ってますし、ニーズもたくさん眠ってるという風に思ってます」と語っています。
この企業連携により、研究開始から1年でAIが導き出した3つの候補は動物実験で効果が確認されたといいます。千田氏は「手応えとしては十分にがあるかなと思います。人の力でも時間と人数をかければ達成できる可能性ありますけども、そこはより効率的に短時間でできるっていうのは、まあAIの特徴です」と成果を評価しています。
しかし、企業が最終的に製品化を決定する際には、技術的な成功だけでなく事業性の検討が不可欠です。千田氏も「どういった事業性があるのかっていうのはしっかりと見た上で開発できるかどうかの判断をするということになると思います」と慎重な姿勢を示しており、薬価制度の課題が企業の意思決定に大きな影響を与えていることが窺えます。
患者に届かない現実-新井文子医師が訴える医療現場の切実な声
聖マリアンナ医科大学血液・腫瘍内科学主任教授の新井文子医師の事例は、ドラッグ・リポジショニングの効果が実証されても患者に届かない深刻な現実を浮き彫りにしています。
新井医師が治験を行ったのは、患者数が少ない難病である慢性活動性EBウイルス病です。発熱や臓器障害、皮膚の異常など様々な症状が現れ、悪化すると死に至ることも多く、根本治療は骨髄移植しかありません。
40歳の三平雄一さんは、新井医師の治験に参加してドラッグ・リポジショニング候補薬(ルキソリチニブ)を服用し、薬で症状が抑えられ、骨髄移植によって病気を治すことができました。三平さんは「縁があってよかったと思います。仕事もがんがんやってますし、問題なく、はい。もうそれだけが何よりです」と治療効果に感謝しています。
新井医師の治験では約4割の患者で症状を抑える効果が出ていたといいます。しかし、この薬を販売する企業は新たな効能で国の承認を得るために動いておらず、通常の診療で使える状態にはなっていません。
新井医師はこの状況に深いもどかしさを感じています。「若い方が多くを占めていますので、ま、そういった方たち、本当に切実ですね。患者さんの立場から言うと、本当に現場の状況っていうのは待ったなしなので、あの、早く、あの、臨床の場で使えるようにしたいな、現場の医師としては届けたいなっていう風に本当に心から思います」という切実な声が、医療現場の厳しい現実を物語っています。
日本バイオテク協議会幹事長の岡村俊明氏は、この問題の根本原因について「企業がその(ドラッグ・)リポジショニング新薬を上市(販売)したら赤字になるほどの低薬価で算定されるケースが多々出てくる。そのようなケースでは企業はこの新薬開発を断念せざるを得なくなるというような状況になります」と説明しています。
岡村氏は「世に出せれば、こういった患者さんが救えるという思いで、え、開発していきますので、あの、一番はやはち患者さん救えなかったんだなというところにつながってしまいますので、決して、え、製薬企業が望む青天井の価格を望んでいるわけではありませんし、開発ができるような薬価水準の薬価制度にしていただければと」と制度改革の必要性を訴えています。
ドラッグ・リポジショニング成功事例と今後の展望
ドラッグ・リポジショニングは決して新しい概念ではありませんが、AI技術の発展により新たなフェーズに入ったことが番組を通じて明らかになりました。間宮弘晃氏は「ドラッグリポジショニング自体はAIが出てくる前から昔からあるもので、元々は人力でやったりとか、偶然見つかってくるようなものだったんですけれども、こういったAIで予測できるようなことになって開発が加速するのではないかなという風に思います」と技術革新の意義を語っています。
国も課題を把握しており、3年前にルールを改正しました。国の検討会議で医療上の必要性が高いと認められた場合には、国から製薬企業に対して開発の要請が行えるようになり、その場合は臨床試験の一部がさらに免除されるですとか、薬価が上がるなどの可能性があります。
間宮氏はこの制度改正について「今までこの医師などは、企業に臨床試験やってくれと、企業側にお願いするしか方法はなかったんですけれども、この回を通じて、国の方から製薬企業に要請をすることができる。で、それによって薬価が上がる可能性があるっていうところで、一つ大きなメリットがあるところだと思います」と評価しています。
また、日本は数少ない薬が作れる創薬ができる国の一つであり、間宮氏は「今後、こういったもので開発を加速していただいて、輸入に頼らないような治療が進んでいくといいのかなという風に思っております」と国際情勢の変化も踏まえた戦略的な重要性を指摘しています。
長期的な視点では、薬剤費が一時的に上がったとしても、その後を考えてトータルで見て実際に持続可能なものなのかどうかを考えていく必要があると間宮氏は述べており、医療費全体の最適化という観点からもドラッグ・リポジショニングの価値を評価すべきだと主張しています。
まとめ
2025年8月27日放送の「クローズアップ現代」で特集されたドラッグ・リポジショニングは、AI技術、特に2024年ノーベル化学賞を受賞したAlphaFoldの活用により、医療に革命的な変化をもたらす可能性を秘めています。アスピリンによる大腸がん予防効果や、559種類もの新たな効能予測など、具体的な成果が続々と報告されています。
しかし、薬価制度という構造的な課題が企業の開発意欲を削ぎ、効果が実証されても患者に届かないという深刻な問題も浮き彫りになりました。医療現場からの切実な声と、企業側の収益性への懸念の間で、真に患者のためになる制度設計が求められています。
この既存薬革命を真の意味で成功させるためには、技術的な進歩だけでなく、薬価制度の改革や国による積極的な支援が不可欠です。間宮弘晃氏をはじめとする専門家の指摘通り、長期的な視点での医療費最適化と、患者にとって真に価値のある治療薬の迅速な提供を両立させる知恵が今こそ求められているのです。
三平雄一さんのように「治療も受けられないまま亡くなっていく方が非常に多くて、治療法の幅が広がるっていうのを願うばかりです」という患者や家族の願いに応えるためにも、この技術革新を社会全体で支えていく仕組み作りが急務となっています。
※ 本記事は、2025年8月27日放送のNHK「クローズアップ現代」を参照しています。
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