医師偏在問題が深刻化する中、地域医療の現場では手術待ちの長期化や医師の疲弊が深刻な課題となっています。本記事では、「クローズアップ現代」(2024年10月23日放送-NHK)の中で、国際医療福祉大学の高橋泰教授が提言する具体的な解決策を紹介します。経済的インセンティブの設計から医療資源の有効活用まで、持続可能な地域医療体制の構築に向けたヒントが見えてきます。医療提供者と利用者双方の新たな関係性づくりを通じて、誰もが適切な医療を受けられる未来への道筋を探ります。
地域医療の現場で深刻化する医師偏在の実態
2024年、日本の医療現場で「医師偏在」という深刻な課題が浮き彫りになっています。医師の総数は増加傾向にあるにもかかわらず、特定の地域や診療科での医師不足が深刻化しているのです。
NHKが最新の国のデータを基に作成した医師偏在マップによると、沖縄や四国、関西などでは医師が比較的多い一方で、関東より北の東北地方では医師が少ない傾向が明確になっています。さらに注目すべきは、首都圏においても医師の少ない地域が点在していることです。
医師偏在が進む3つの主要因
新臨床研修制度の影響
2004年に導入された新臨床研修制度は、若手医師の育成方法を大きく変えました。それまでの「医局制度」による一括した人材配置から、研修医自身が研修先を選択できる仕組みへと変わったことで、都市部の大病院への集中が始まりました。
新専門医制度による都市部集中
2018年からスタートした新専門医制度は、より高度な専門性を持つ医師の育成を目指すものでした。しかし、専門医資格取得には多様な症例経験が必要とされるため、症例の多い都市部の医療機関に若手医師が集中する結果となっています。
「直美(ちょくび)」現象との関連性
業界で注目されている「直美」現象―医学部を卒業後、直接美容外科に進む傾向―も、診療科の偏在を加速させる要因となっています。労働環境が比較的整備され、給与水準も高い美容外科に若手医師が流れることで、他の診療科での人材確保が困難になっているのです。
地域医療の危機―秩父市の事例から見る深刻な現状
埼玉県秩父市の事例は、地域医療が直面する深刻な状況を如実に示しています。
小児科医・黒沢医師が語る診療制限の実態
秩父市立病院に勤務する小児科医の黒沢大樹医師は、日々の診療現場での切迫した状況を明らかにしています。同地域の15歳未満の子ども約1万人に対し、小児科を専門的に診療する医療機関はわずか2か所。一日の外来患者数は30人を超え、時には60人を超えることもあり、患者の安全を考慮して診療制限を余儀なくされることもあります。
外科医・花輪医師が直面する救急医療の限界
秩父病院の理事長である花輪峰夫医師(76歳)は、外科医療の危機的状況を指摘しています。かつて7人いた常勤の外科医が2人にまで減少する一方で、年間手術件数は約500件と、むしろ増加傾向にあります。この状況を受けて、2025年度からは夜間救急からの撤退を決断せざるを得ない状況に追い込まれています。
医師偏在解消に向けた具体的な取り組み
高知大学病院の働き方改革
高知大学病院では、外科医の業務改革という革新的な取り組みを実施しています。従来一人の執刀医が担っていた手術を複数の医師で分担し、休憩時間の確保や勤務時間の短縮を実現。また、手術後の管理を麻酔科医に引き継ぐなど、業務の効率化も図っています。
花崎病院長が推進する若手医師育成策
同病院の花崎和弘病院長は、外科医の仕事の魅力を若手医師に伝えることで、担い手を増やす取り組みを進めています。「地域医療を守るのは一人の力ではできない」という認識のもと、チーム医療の実践を通じて、若手医師が早期から手術に携われる環境づくりを推進しています。
医師偏在対策の最前線
地域枠制度の効果と課題
医学部における地域枠制度は、卒業後9年間の地域勤務を条件とする仕組みとして、一定の効果を上げています。しかし、義務期間終了後の医師の動向が未知数であることが今後の課題となっています。
シーリング制度の現状評価
専門研修を受ける都道府県や診療科に上限を設ける「シーリング」制度は、都市部への過度な集中を防ぐ効果は認められるものの、医師不足地域への誘導には必ずしも結びついていないという課題が指摘されています。
高橋泰教授が指摘する解決への道筋
インセンティブ設計の重要性
医師偏在の解決に向けて、高橋泰教授は経済的インセンティブの重要性を強調しています。具体的には、長時間手術、夜間救急、お産などの負担の大きい医療業務に従事する医師に対して、そうでない医師よりも確実に高い収入が得られる制度設計の必要性を指摘しています。
また、専門医資格の取得要件として、特定の地域での一定期間の勤務を義務付けるなど、医師のキャリアパスと地域医療ニーズを結びつける仕組みづくりも提案されています。このように、医師個人の職業選択の自由を尊重しながらも、必要な地域・診療科に人材を誘導する制度的な枠組みの構築が求められています。
医療資源の有効活用
高橋教授は、医療資源の有限性を考慮した新たな医療提供体制の構築を提言しています。宅配業界の例を引き合いに出し、利用者の過度な利便性追求が現場に大きな負担をかけ、システム全体の持続可能性を脅かす可能性を指摘。医療においても同様に、限られた医療資源の中で持続可能な体制を維持するためには、医療提供者と利用者双方の意識改革が必要だと説いています。
まとめ:持続可能な地域医療体制の構築に向けて
医師の偏在問題は、地域と診療科の両面で深刻化しています。秩父市の事例に見られるように、都市部からわずか2時間の距離でも、外科医の不足により救急医療の制限を余儀なくされるなど、地域医療は危機的状況に直面しています。
この背景には、2004年の新臨床研修制度の導入や2018年からの新専門医制度など、複数の制度的要因があります。また、若手医師の意識変化や働き方改革の実施も、医師の地域偏在や診療科偏在を加速させる要因となっています。
しかし、高知大学の取り組みに見られるように、外科医の業務を複数の医師で分担し、労働時間を削減するなど、具体的な改善の動きも出てきています。また、地域枠制度やシーリングなど、行政側の対策も進められています。
高橋泰教授が指摘するように、今後は以下の取り組みが重要となります:
- 負担の大きい診療科の医師に対する経済的インセンティブの強化
- 専門医資格と地域医療従事を結びつける制度設計
- 医療資源の有限性を踏まえた新たな医療提供体制の構築
- 医療提供者と利用者双方の意識改革
地域医療の持続可能性を確保するためには、医師の働き方改革を進めながら、適切なインセンティブ設計や制度整備を行い、同時に医療を受ける側の意識改革も進めていく必要があります。医療というインフラを守るために、社会全体で医療資源の有限性を理解し、その適切な活用について考えていくことが求められています。
(参照:「クローズアップ現代」(2024年10月23日放送-NHK))
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