2025年8月25日に放送されたNHK「クローズアップ現代」では、猛暑が私たちの食卓に深刻な影響を与えている実態が明らかにされました。家計に優しい豚肉の価格が過去最高水準に達し、野菜や果物の値上がりが続く中、この現象は一過性のものではなく、長期的な構造変化の始まりである可能性が高いのです。
猛暑による食卓異変の深刻な実態とは?長谷川利拡さんが解説
番組では、農研機構エグゼクティブリサーチャーの長谷川利拡さんが、猛暑による食卓異変の深刻さについて詳しく解説しています。長谷川さんは作物学の専門家で、特に気候変動が農作物に与える影響を長年研究してきた第一人者です。
現在私たちが直面している食料問題は、単なる一時的な天候不順ではありません。長谷川さんによると、「温暖化のスピードに対策が追いついていない」のが現実で、この状況は今後さらに深刻化する可能性が高いとされています。
特に注目すべきは、食料システム全体が人為的な温暖化ガスの約30%を占めているという事実です。つまり、私たちが日々口にする食べ物の生産から流通、消費に至るまでの過程が、温暖化の原因でありながら、同時に温暖化による最も深刻な被害を受ける分野でもあるという皮肉な状況にあるのです。
長谷川さんは番組の中で、「日々私たちが口にしている食べ物が、どこからどのように作られてきたのか、それがどういう風に環境に影響しているのかを考えることだけでも、生産者を応援するマインドにつながる」と述べ、消費者一人ひとりの意識変革の重要性を強調しています。
豚・牛・米に現れた猛暑の深刻な影響
豚肉への深刻な打撃
三重県の養豚場を営む前田豊作さんの事例は、猛暑が畜産業に与える影響の深刻さを物語っています。豚舎内の気温が32度まで上昇する中、豚は脂肪が多く汗をかけないため、暑さが大きなストレスとなっています。前田さんによると、「我々が暑いと思う以前に生き物はもっと暑さを感じている」状況で、豚たちは水ばかり飲み、直接水をかけてあげることが唯一の救いとなっています。
この影響は出荷量に直接現れており、通常であれば毎週20頭を出荷していたところ、7月中は10頭に半減しました。さらに深刻なのは、出荷できた豚の重量も通常の70キロ台後半から10キロほど減少していることです。肉屋からも「小さいね」という指摘を受けるほど、品質への影響も顕著に表れています。
農研機構畜産研究部門の井上寛暁上級研究員によるシミュレーションでは、今後10年間の平均的な暑さが豚の成長に与える影響が予測されています。赤色で示された地域では、最適な環境で育てた場合と比べて体重の増加が10%以上落ちることが明らかになっており、「影響が出る地域は徐々に拡大していく」と警告しています。
乳牛への壊滅的な影響
乳牛への影響はさらに広範囲に及んでいます。予測によると、北海道を除くほとんどの地域で生乳の量が10%以上減るという深刻な状況が想定されています。愛知県の事例では、獣医師の浦本右文さんが猛暑による牛の診療に追われる様子が紹介されました。
暑さで免疫力が低下した牛は乳房炎にかかりやすくなり、搾乳できる量が激減します。さらに深刻なケースでは、乳牛が自ら立つことができなくなり、「立てなくなると体温を逃がせなくなって、どんどん悪くなっていく」状況に陥ります。この日取材された牛も、熱中症の症状で夏を乗り切ることが困難と判断され、食肉として出荷されることになりました。
米作への長期的影響
米への影響は、将来にわたって日本の食料安全保障を脅かす可能性があります。農研機構インキュベーションラボの米丸淳一ラボ長による実験では、2100年の環境を人工的に再現して稲を栽培する研究が行われています。
興味深いことに、温暖化が進んだ環境では稲の背丈が高くなり、成長が早くなることが確認されました。しかし、「生育が逆に良すぎる」ことが問題となり、せっかく作ったデンプンや糖を使ってしまうため、「作物自体は大きくなるが、米の量としては減少する」という皮肉な結果となっています。
コシヒカリの場合、収穫量は4割以上減少し、さらに取れた米の半分ほどが未熟で品質が低い白未熟粒になってしまうという深刻な状況が明らかになりました。
野菜・果物の価格高騰が止まらない理由
東京大田市場の青果卸売会社で取締役を務める富田雅之さんの証言は、野菜・果物市場の深刻な状況を浮き彫りにしています。「この辺一面レタスになっててもおかしくないのに、もうこのワンパレットぐらいしか残っていない。それだけ入荷量も少ない」という状況が日常化しています。
キュウリについても、「高温プラスの干ばつの影響で木自体の水分も蒸散してしまい、傷がついたり、製品として出荷できないようなものがかなり増えてきている」と説明しています。近年、夏場にトマトやレタス、キュウリなどの入荷量が明らかに減少していることが確認されています。
この状況を数字で見ると、野菜などの生鮮食品の価格はこの10年でおよそ4割上昇しており、日用品などそれ以外の物価と比べても上がり方が際立っています。みずほリサーチ&テクノロジーズ調査部の河田晧史さんは、「えげつない上がり方をしていて、今40%以上上がる形になっている」と表現しています。
さらに深刻なのは、この傾向が一時的なものではないという予測です。河田さんによると、「異常気象が発生すると、野菜や果物の収量が立ち所に影響を受けることが多く、高値が10年20年続く可能性が否定できない」状況にあります。「昔だったら安く買えていたようなものが、今はちょっと買えなくなってきて、10年後はさらに買えづらくなっていく」という厳しい現実が待ち受けているのです。
2100年の食卓未来予測「米の収穫量4割減」の衝撃
番組で紹介された2100年の食卓予測は、私たちの食生活が根本的に変わる可能性を示唆しています。温暖化が進んだ場合、私たちが慣れ親しんだ食材の多くが姿を消すか、大幅に変化する可能性があります。
お米については収穫量の減少と品質低下が避けられない状況です。長谷川さんによると、現在のグラフは「温暖化対策や対策技術を用いなかった場合の推定」であることを留意する必要がありますが、それでも実験などで温度上昇や二酸化炭素濃度の上昇により白未熟粒が大幅に増加することが確認されています。
今世紀末には白未熟粒の割合が40%に達するという予測は衝撃的で、「今まで以上の対策を採っていくということが求められている段階」に来ていることを示しています。
お肉については、豚が年々痩せ細り、将来的には培養肉が貴重なたんぱく源になる可能性も指摘されています。これまで手軽に入手できた動物性たんぱく質が、希少で高価な食材になってしまう可能性があるのです。
果物や牛乳についても、従来の国産品に代わって南国の果物やココナッツミルクなどが主流になるかもしれません。日本の四季と密接に関わってきた食文化そのものが、根本的な変化を迫られる時代が到来する可能性があります。
スリック牛やアボカド栽培など画期的な新たな取組
革新的なスリック牛の開発
兵庫県淡路島の研究施設では、温暖化に適応した画期的な取り組みが始まっています。兵庫県淡路農業技術センターの石川翔主任研究員が中心となって進めているのが、「スリック牛」の開発です。
スリック牛は、熱帯に位置するカリブ海の島の暑さに強い牛と一般的な乳牛を交配させ、世代交代を繰り返して生まれた革新的な品種です。4年前から人工授精に着手し、これまでに9頭の誕生に成功しています。
スリック牛の最大の特徴は毛の長さにあります。一般的な乳牛の毛と比較すると、長さは半分ほどしかありません。この短い毛により体温調整がしやすくなり、夏場では一般的な乳牛に比べて0.3度ほど体温を低く保つことができます。
重要なのは、牛乳の品質は変わらず、乳量には良い影響があることです。石川さんによると、「この牛に関しては比較的暑い割にはそこまで乳量が減っていない」と評価しています。海外の研究では、夏場の乳量の減り方を3分の1程度に抑えられるという結果も報告されており、日本でも同様の結果が期待されています。
アボカドの産地化プロジェクト
静岡県では、温暖化を逆手に取った新たな特産品開発が進んでいます。みかん農家の山田豊秋さんが10年前に趣味で始めたアボカド栽培が、県の注目を集めています。
静岡県は2025年度から1760万円の予算を投じ、アボカドの産地化プロジェクトを本格的にスタートさせました。農業戦略課の平野裕二課長によると、「アボカドは需要の面を見ると、過去30年で25倍に需要量が増えている」という驚異的な市場拡大を背景に、「オール静岡みたいな形でアボカドの栽培技術を確立したい」としています。
シミュレーションでは、アボカドの生産に適した地域が今後広がっていくと予測されており、この結果が県の取り組みを後押ししています。現在、県は山田さんを始め8件の農家と協力し、気温や土壌の水分量を記録してデータを共有し、来年度には静岡独自の栽培マニュアルを作成する予定です。
山田さんは「新たに今まで作れなかったものが作れるっていうのはいいですよね。しかも需要があるっていうのは。アボカドが救世主になればいいな」と期待を込めて語っています。
全国に広がる新作物への挑戦
温暖化を活かした新作物の取り組みは全国各地で始まっています。北海道では従来九州などで盛んだったサツマイモの生産が開始され、東京八王子市では亜熱帯地域原産のパッションフルーツ、京都ではアフリカ原産とされるオクラ、愛媛では地中海沿岸で栽培されてきたブラッドオレンジの生産に取り組んでいます。
長谷川さんは、これらの取り組みを「温暖化を一つの契機として捉えて新しい作物にチャレンジしていく重要な温暖化への適応」と評価しています。ただし、「環境の変化を見越したような対応が必要になってくる」ことも指摘しており、長期的な視点での対策が不可欠であることを強調しています。
海外からの輸入に頼れない理由と日本の課題
国産農産物の生産量減少が続く中、「輸入に頼ればよい」という楽観的な考えもありますが、長谷川さんはこの考え方に警鐘を鳴らしています。「世界各地でも色々な温暖化の影響が出ている」のが現実で、輸入による食料確保も決して安定的ではありません。
国連の最新報告書によると、干ばつの被害がアフリカ、地中海沿岸、東南アジア、南アメリカなどで深刻化しています。これらの地域は「もともと食料事情が悪いところ」であり、温暖化によってさらに悪化することが懸念されています。
私たちに馴染み深い輸入農産物も例外ではありません。コーヒー、カカオ、バナナといった特定の産地で生産される作物への影響は特に大きいとされています。さらに、北アメリカや南アメリカの穀草地帯と呼ばれる穀物生産の中心地でも、干ばつの影響は避けられないという見方が強まっています。
長谷川さんは、「世界のどこかで食料が生産されて、日本の食卓は大丈夫だというのは、非常時の備えとしては楽観的すぎる」と断言しています。この指摘は、日本の食料安全保障政策の根本的な見直しの必要性を示唆しています。
まとめ
2025年8月25日放送のNHK「クローズアップ現代」が明らかにした猛暑による食卓異変は、一時的な現象ではなく、私たちの食生活を根本から変える長期的な構造変化の始まりです。
豚肉価格の過去最高水準到達、生鮮食品価格の10年で4割上昇、米の収穫量と品質の深刻な低下など、すでに現実となっている影響は今後さらに深刻化することが予想されます。農研機構エグゼクティブリサーチャーの長谷川利拡さんが指摘するように、「温暖化のスピードに対策が追いついていない」状況が続いています。
一方で、スリック牛の開発やアボカドの産地化など、温暖化に適応した革新的な取り組みも始まっています。これらの新たな取組は希望の光ですが、長谷川さんが強調するように「今まで以上の対策を採っていく」ことが急務です。
重要なのは、消費者である私たち一人ひとりが、日々口にする食べ物の背景にある生産者の努力や環境への影響を理解し、生産者を応援するマインドを持つことです。食料システムが温暖化ガスの約30%を占めている現実を踏まえ、各家庭でできる温暖化対策を継続することが、未来の食卓を守ることにつながります。
2100年の食卓予測は衝撃的でしたが、これはあくまで「対策を採らなかった場合」の想定です。今こそ、日本全体で生産現場の工夫を支援し、新たな農業技術の開発と普及を加速させる時期に来ているのです。長谷川さんが番組で語った「日本の中で生産をしていくというコンセンサスの元に、ぜひ応援していただきたい」という言葉は、私たち全員への重要なメッセージなのです。
※ 本記事は、2025年8月25日放送のNHK「クローズアップ現代」を参照しています。
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