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【財津一郎さんの偉大なる人生!】俳優・コメディアン・歌手の輝かしい経歴と感動のエピソード

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俳優、コメディアン、歌手として幅広く活躍された財津一郎さんが10月14日に慢性心不全で亡くなられたことが分かりました。享年89歳でした。財津さんは特に藤田まこと主演の時代劇『てなもんや三度笠』で浪人・蛇口一角役を演じ、「ヒッジョーにキビシ〜ッ!」「〜してチョーダイ!」のギャグで一世を風靡しました。今回は財津さんのご逝去に際して、その生涯と功績について振り返りたいと思います。

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財津一郎さんのプロフィール

  • 本名:財津肇
  • 生年月日:1934年2月22日
  • 出身地:熊本県熊本市
  • 芸歴:石井均一座→吉本興業→吉本新喜劇→志母澤事務所
  • 主な出演作品:『てなもんや三度笠』『連合艦隊』『3年B組金八先生』『タケモトピアノ』のCMなど
  • 主な受賞歴:日本アカデミー賞優秀助演男優賞(1981年)、紫綬褒章(2005年)、旭日小綬章(2016年)など
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財津一郎さんの俳優としての経歴

財津さんは高校卒業後は上京し、早大文学部演劇学科を受験しましたが失敗しました。その後、榎本健一映画演劇研究所や帝劇ミュージカルの研究生として演技を学びました。1955年に石井均一座に入門し、財津肇メという芸名で舞台に立ちました。

1962年に吉本興業に入り、1964年に吉本新喜劇に参加しました。芸名も現在の財津一郎に改めました。新喜劇では老け役が多くなり、コミカルな演技で人気を博しました。1969年に吉本興業を退社して東京に活動拠点を移し、志母澤事務所に移籍しました。

1970年代からは映画やテレビドラマにも出演し、コメディアンだけでなく、硬軟使い分ける俳優としても評価されました。特に藤田まこと主演の『てなもんや三度笠』では浪人・蛇口一角役で「ヒッジョーにキビシ〜ッ!」「〜してチョーダイ!」のギャグで一世を風靡しました。1981年の映画『連合艦隊』では海軍兵曹長役で重厚な演技を見せ、日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞しました。

1995年に脳内出血で倒れて開頭手術を受けましたが、リハビリに励んで3ヶ月後に仕事復帰しました。その後も『3年B組金八先生』シリーズや『タケモトピアノ』のCMなどで活躍しました。2010年の映画『ふたたび swing me again』では主演を務め、「この映画の出演は(俳優生活の)最後のごほうびだと思って演じました」と語りました。

2011年の『3年B組金八先生 ファイナル』を最後に芸能活動休止状態に入りました。2015年には初の著書『聞いてチョウダイ 根アカ人生』を発売しました。この本では、財津さんの幼少期から俳優としての苦労や成功、家族や仲間とのエピソードなどを赤裸々に綴っています。財津さんはこの本を「自分の遺言書」とも呼んでいました。

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財津一郎さんの歌手としての経歴

財津さんは歌手としても活動しており、1985年に「野風増」という曲で歌手デビューしました。この曲は、財津さんが出演した映画『野風増』の主題歌で、財津さん自身が作詞しました。財津さんはこの曲を「自分の人生を歌った」と語っていました。

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財津一郎さんの家族としての経歴

財津さんは俳優活動を始めたばかりの愛孫・財津優太郎さんが出演するTBSドラマ『下剋上野球部』の初回放送直前に亡くなりました 。財津優太郎さんは「ジージーが亡くなったことはショックでしたが、ジージーは僕が俳優になることを応援してくれていたので、頑張って演じます」とコメントしています。

財津さんは2020年2月に妻・美智子さんを亡くしました。財津さんは妻と結婚して60年以上、仲睦まじく暮らしていました。財津さんは妻を亡くした後、老老介護の末に慢性心不全で入院していましたが、医師の反対を押し切って2日間だけ退院し、自分の手で妻の通夜と告別式を取り仕切りました。その後も四十九日にあたる3月末にも再び退院し、妻の骨を墓に納めました。

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財津一郎さんへの追悼

財津一郎さんは俳優としてだけでなく、人間としても魅力的な方でした。明るく前向きな性格や豊かな感性、温かい人柄などが多くの人に愛されました。財津さんのご冥福を心からお祈りします。財津さん、本当にありがとうございました。

 

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