高校生のカンニングへの適切な指導のあり方を知りたい方へ。カンニングは許されない行為ですが、ひとりひとりの生徒に寄り添った丁寧な対応が何より大切です。本記事では、カンニングをめぐる高校生の自殺事故を取り上げ、学校側の対応の問題点や、生徒の心理に配慮した指導の重要性をご説明いたします。生徒一人一人の個性を尊重し、前を向いて歩んでいける方法を見出せるはずです。
カンニング高校生への厳しい指導が自殺に至った事件の背景
大阪市天王寺区にある私立進学校の清風高校で、2021年12月に起きた高2男子生徒の自殺事件。発端は、同年12月の期末試験で倫理・政経の科目でカンニングをしたことが監督官に見つかったことでした。カンニングが発覚すると、複数の教師から別室で厳しく叱責され、全科目を0点とする、8日間の自宅謹慎処分、反省文の作成など厳しい処分を受けました。
遺書には「このまま周りからひきょう者と思われながら生きていく方が怖くなってきました」と記されていました。両親は、カンニングに対する指導や処分自体は認められるものの、教師らの言動が過剰で生徒を心理的に追い詰めたと主張し、学校側に約1億円の損害賠償を求める訴えを2024年3月、大阪地裁に起こしました。
教師による「ひきょう者」発言が心理的ダメージを与えた可能性
両親側は、副校長が日頃から朝礼などで「カンニングはひきょう者がすることだ」と訓辞を述べていたことが、カンニングをした生徒に強い精神的ダメージを与えた可能性が高いと指摘しています。実際、カンニングが発覚した際の別室指導でも、生徒が書いた反省文を見た教員が「ひきょう者」の言葉を持ち出し、必要であれば文言を加筆するよう指示していたそうです。
浜田雄久弁護士は「子どもによって言葉の受け止め方は異なり、学校側はその影響を考えるべきだった」と話します。心理的に脆弱な高校生にとって、教師から「ひきょう者」と連呼されるのは、大きなダメージとなり得ます。ささいなことでも自尊心を傷つけられた生徒が、絶望的な気持ちになってしまったのかもしれません。
第三者委員会の因果関係否定に対する両親側の反論
一方で、清風高校が設置した第三者委員会は、最終報告書の中で「ひきょう者という言葉は自死に一定の影響を与えた可能性はあるが、同じ指導を受けた他の生徒が無事に復学しているなど、自殺に追い込んだとまでは言い難い」と結論付けました。
しかし両親側は、この評価に強く反発しています。同じ指導を受けた他の生徒の例を持ち出すのは、個別の事情を無視した安直な判断だと批判しています。
カンニング指導における学校の言動への配慮義務
学校には生徒の安全に配慮する義務があり、カンニングへの指導でも、一人一人の個性や心情に気を配る必要があります。特に思春期の高校生は精神的に不安定な面もあり、言葉の受け止め方にも個人差が大きいはずです。
浜田弁護士は「カンニングはルール違反で、学校の指導自体は間違っていない。しかし指導の在り方によっては、生徒に大きな心理的ダメージを与える可能性がある」と指摘します。適切な指導とは、生徒一人一人の個性を踏まえ、分かりやすく、丁寧に行うことが重要だと言えるでしょう。
頭髪指導でも問題視された同校の生徒指導方針
清風高校の生徒指導には、過去からも問題視されてきた一面がありました。昨年、大阪弁護士会は同校の頭髪指導について、「生徒の髪に直接触ったり、刈り上げを強要したりするのは人権侵害に当たる」と勧告を出しています。
今回のカンニング事件での生徒の自殺も、同校の一貫した生徒指導方針の問題が一因となった可能性は否定できません。一方的な押し付けではなく、生徒一人一人の立場に立って、より寄り添った指導を心がける必要があります。
高校生の心理に寄り添った適切な指導のあり方
清風学園は「生徒が亡くなった事実を重く受け止め、今後同様のことが起こらないよう、生徒指導も言動に気を付け、丁寧に対応している」とコメントしています。
高校生の脆弱な心理状態を考えれば、カンニングへの指導においても、一人ひとりに寄り添い、分かりやすく丁寧に行うことが何より大切です。生徒を一方的に非難するのではなく、向上心を持たせながら、将来に向けて前を向いて歩んでいけるよう導くことが肝心なのです。
まとめ:カンニングは許されないが、生徒の心情に思いを寄せた丁寧な指導が重要
カンニングはルール違反であり、何らかの指導は不可欠です。しかし高校生の脆弱な心理状態に配慮し、一人ひとりの個性や立場に立った、分かりやすく丁寧な対応が欠かせません。今回の事件は、そうした配慮を欠いた指導のあり方が、生徒に過剰な心理的ダメージを与えた可能性を示しています。
第三者委員会の評価には一定の疑問が残りますが、学校側も重大な事態と受け止め、今後は生徒一人一人に寄り添った適切な指導を徹底するとしています。カンニングへの指導は、生徒の規範意識を高めつつ、同時に将来への希望を持たせられるものでなくてはなりません。言葉を慎み、心に寄り添うことが何より大切なのです。
コメント