2025年11月26日放送の「クローズアップ現代」で、82歳のエジプト考古学者・吉村作治さんが挑む「クフ王の墓」発掘調査が特集されました。「ピラミッドは墓ではない」という大胆な仮説のもと、20年越しで許可を得た発掘現場では驚きの発見が続いています。この記事では、吉村さんが注目する西部墓地の空白地帯の謎、70年間追い続けた夢の全貌、そして世紀の大発見への期待を詳しく解説します。
クフ王の墓はどこに?吉村作治が注目する「西部墓地の空白地帯」
クフ王の墓はどこにあるのか——この古代エジプト最大の謎に、吉村作治さんは明確な答えを持っています。それは、クフ王のピラミッドではなく、その横に広がる「西部墓地の空白地帯」です。
番組では、吉村さんが30年ほど前にクフ王のピラミッドの頂上から下を見た時の体験が語られました。「ここだけはマスタバ(墓)がなかったんですよ」。約1000にのぼる貴族の墓が発掘された西部墓地の中で、唯一墓が見つかっていない場所——それが空白地帯です。
「ここだけがないっておかしいでしょ」と吉村さんは言います。古代エジプト人は、地下に大事なものを作った時に、上にそれをカモフラージュするものを作る習慣がありました。しかしこの空白地帯には、上に何もありません。「上になんにもないっていうことは下にも何にもないと(エジプト人は)言うんですよ。でもクフ王は違うと。この下だよ。ここのとこに。と、私思ってんの」
この仮説は単なる勘ではありません。発掘を始めてまもなく、葬儀の際に使われるミニチュア土器が数多く出土しました。さらに地中レーダー(GPR)による電磁波探査では、地中に「怪しい影」が映し出されました。そして最も注目すべきは、この場所の地層の特徴です。他の場所に比べて岩盤の位置が異常に深く、少なくとも地中7メートルまで砂が堆積していることが判明したのです。
東日本国際大学の柏木裕之さんは「人工的に削っているとしたら、何か目的があって削ってるわけですので、ここに何かものがあるかもしれません」と語っています。一般的に、位の高い人の墓が地中にある場合は、上に何も建てられず砂が自然に堆積することが多いため、吉村さんは大きな発見の可能性を確信していました。
「ピラミッドは墓じゃない」吉村作治の大胆な仮説と3つの根拠
「ピラミッド、墓じゃないって僕言ってるわけ」——吉村作治さんのこの発言は、長年の通説を覆すものです。クフ王のピラミッドは高さ約146メートル、底辺の一辺が約230メートルという古代エジプト最大の建造物で、4500年前に建造されました。しかし、ミイラも副葬品も未だ発見されておらず、ピラミッド内部の「王の間」と呼ばれる部屋にある石棺のようなものも、中は空なのです。
吉村さんの仮説は「ピラミッドは墓ではなく、聖地を模した宗教施設である」というものです。この大胆な説には、3つの明確な根拠があります。
第一に、1人の王が複数のピラミッドを建てた例が多くあることです。中には5つものピラミッドを建てた王もいました。もしピラミッドが墓なら、1人の王が複数の墓を持つことになり、不自然です。
第二に、最古のピラミッドと言われるジェセル王の階段ピラミッドの構造です。この遺跡では、墓はピラミッドとは別の場所から見つかっており、墓としては造られていませんでした。
第三に、聖地アビドスの存在です。クフ王が毎年巡礼に行っていたこの聖地には、ピラミッドとそっくりな形の2つの山がありました。吉村さんは、クフ王が遠い聖地を人工的に再現しようとしたのではないかと考えています。
これらの根拠から、吉村さんは「ピラミッドのそばにある空白地帯こそクフ王の手がかりにつながる場所」と確信し、発掘を続けているのです。この仮説が証明されれば、エジプト考古学の歴史が書き換えられる世紀の大発見となります。
20年越しの発掘許可!現在の調査状況と「底なし地層」の謎
西部墓地の空白地帯の発掘は、決して容易なものではありませんでした。多くの考古学者が発掘を希望しながらも、エジプト政府から許可が下りず、100年間誰も掘ることができなかった場所だったのです。
吉村さんは、この場所の発掘権を20年間申請し続けました。エジプト考古学への長年の功績が認められ、ようやく2年前の2023年に発掘が始まりました。番組では「発掘するとき、みんなと同じように発掘したいわけですよ。一応、隊長ですからね」と語る吉村さんの姿が映し出されました。
現在82歳の吉村さんは、10年ほど前に発掘中の怪我で1人で歩くのが難しくなり、車椅子での生活を送っています。それでも2ヶ月に一度はエジプトに足を運び、「何回ぐらいだろうなぁ。300回。まぁ、ここが職場だからね。エジプトは職場」と語るほどの情熱を持ち続けています。
調査にあたるのは、長年吉村さんと発掘調査をしてきたエジプト人作業員たち、そして30年以上ともに研究を続ける愛弟子たち——東日本国際大学の柏木裕之さんと黒河内宏昌さんです。吉村さんは足が不自由なため、発掘の第一段階は現場に任せていますが、毎日朝8時から始まる作業を車椅子に座ったまま見守り、アラビア語で「ヘラヘラ!ヤッラ!ヤッラ!(やれやれ!行け、行け!)」と声をかけて士気を高めています。
この2年間の調査で、地中2メートル付近から複数の墓が発掘され、クフ王の時代の直後である第5王朝の貴族のものと見られています。そして2025年9月以降、「今までにない兆候」が現れました。掘っても掘っても岩盤に行き当たらない「底なし」の地層が見つかったのです。
柏木裕之さんは「今のところ、まだ底がなくて、どんどん底なし状態になってる」と報告しています。通常の発掘では、表面の砂を取り除けば岩盤にたどりつきますが、この場所はいくら掘っても砂ばかり。岩盤が他の場所に比べて異常に深い位置にあることがわかったのです。
調査が難航する中、弟子たちの間で意見が分かれる場面もありました。今掘っている場所に集中して岩盤まで掘り進めるべきか、それともいったんやめて他の場所に着手したほうがいいのか——議論は30分続きました。
静かに見守っていた吉村さんが提案したのは、地中レーダーを活用した効率的な発掘方法でした。「いったん平らに、まだ掘ったら、そこのとこ、GPR(地中レーダー)でやって、また掘ったら、GPR。ダメだったら、もう、どんどん潰していく」。柔軟な発想で困難を乗り越えてきた吉村さんならではの視点です。
黒河内宏昌さんは「やってみないとわからないですね」と応じ、吉村さんは「どんどん潰してくしかないよ。3人で話してさ、決めていけばいいんだよ。発掘ってそういうもんだよ。決めた通りいかないの、今もそうだよ」と語りました。60年の経験から生まれた、吉村さんの発掘哲学が垣間見える瞬間でした。
草野仁が証言する吉村作治の人物像とエジプトでの評価
番組のスタジオゲストとして登場したのは、民放のクイズ番組(日立 世界・ふしぎ発見!(TBS))の司会者としても知られる草野仁さんです。草野さんと吉村さんは40年以上の親交があり、番組の撮影で一緒にエジプトに行ったこともあります。
草野さんが語る吉村さんの姿は、日本では見られない一面を浮き彫りにします。「現在、エジプト考古学関連の最高峰にいらっしゃる、ザヒ・ハワス博士。あの博士がですね、現場で吉村先生の姿見つけると、大声出してわーっと走ってって、手握って、ジョーク飛ばして、本当にね、大変な形で敬意を払っておられました」
さらに、発掘現場では作業をしている若いエジプト人たちが、吉村さんだと気づくと作業を中断して寄ってきて、手を握って挨拶を交わすといいます。「ああ、これほど、エジプトの人たちに、愛されている日本人は、吉村作治先生以外には、ありえないと、感じました」と草野さんは語りました。
この評価は、番組内で紹介された別のエピソードでも裏付けられています。2025年、エジプトで世界最大級の大エジプト博物館が完成し、そのオープニング式典に吉村さんが招待されたのです。式典では、シシ大統領自らが「私たちはこの巨大な文化プロジェクトのために友好国である日本から受けた大きな支援を忘れません」と語り、吉村さんは日本の代表として、大統領からの感謝の言葉を直接聞きました。
吉村さんは「自分のやったことは誰かに認められる。認められたってことは嬉しい。もっと素晴らしいもの見つけるから。クフ王の墓ね」と喜びを語っています。実は吉村さんは、出土品のほとんどをエジプトに納めています。多くの国が出土品を自国に持ち帰る中で、「エジプトで発見されたものはエジプトに」という姿勢が高く評価され、今回の空白地帯の発掘許可が特別に得られたのです。
草野さんは、80歳を越えても変わらない吉村さんの情熱について「自分の抱いた夢の実現、これは諦めずにやり続けると、そのお気持ちだと思いますね」と語り、「一つの夢を抱いて、そしてその実現には、とにかく長い長い、努力をするしかないという、その信念じゃないでしょうか」と締めくくりました。
吉村作治82歳、70年の夢を追い続ける覚悟と代償
「見たいよね。だって、もう、70年の夢だからね。クフ王の墓見つけるの」——吉村さんがこの夢を抱いたのは、小学生、10歳の頃です。
きっかけは、ツタンカーメンの墓を発見した考古学者、ハワード・カーターの本でした。黄金に輝くマスクのような、世界を驚かす発見を、自分もいつかしたいと憧れを抱いた吉村少年は、こう誓いました。「すごいもの発見して。金銀財宝、それが欲しかった。約束したんですよ、10歳の時にね。私はカーターさんよりもっとすごい、墓を見つけて、世界一になりますって」
大学時代、自ら調査隊を結成しエジプトへ初遠征。1971年、日本人として初めて発掘する権利をエジプト政府から認められました。3年後の1974年には、ツタンカーメンの祖父が建造したとされる遺跡を発見。2005年には、およそ3800年前の完全体のミイラを見つけ、コバルトブルーに輝くミイラマスクは世界中のメディアに報じられました。
吉村さんが大切にしてきた信念は「人がやらないことをやる」です。発掘に最先端の科学技術を導入し、物理や建築の専門家とも協力するなど、前例にとらわれない挑戦を繰り返しました。「人のやらないことをやろうと思って。そうやっているうちに、いい結果が出るっていう、そういうもんなんですよ」
弟子の柏木裕之さんは「とにかく一途だと思うんですよ。自分の信念をこれだっていうのでやってきてるっていうのは、すごいですね」と語り、黒河内宏昌さんは「真似できないですけどね。大体途中で諦めちゃう、じゃないですか。(私は)そんな感じですけれども、先生は諦めないから。それすごいなと思いますね」と語っています。
しかし、夢に邁進してきた人生には、大きな代償も伴いました。エジプト人の妻とは35歳の時に離婚し、息子や娘とも離れて暮らしてきました。30代の頃、発掘資金を集めるためにメディアに度々出演し、家に帰るのは1年に2週間ほど。「子供が生まれた時もいなかったし、カイロにね。学校が入学式もいなかったし」と振り返ります。
マンションも土地建物も、みんな売りました。理由は「お金がないから」。すべて発掘資金に投じたのです。現在は福島県いわき市で1人暮らしをしています。「ちょっと辛いね。なんとなく。誰も味方がいないような感じ。感じがするだけだよ」と語る姿には、孤独の影が見えます。
「人によれば、僕は利己的なね、自分のことしか考えない人間だと言われるんです。そうかもしれないんです。そういう気持ちはないんですけどね。自分が従った通りに生きてる。ちょっと今は(夢の実現が)遅れてるけどね」
それでも吉村さんは、週に一回のリハビリを欠かしません。現在も東日本国際大学で週に4コマ授業を持ち、若者たちに「何でもいいから自分の気にいったことを一生懸命やりなさい」と教えています。ある男子学生は「力と言いますか、を、やっぱり最大限使って自分のやりたいことをやったのは、すごく、考古学以外の面でも、参考にできる」と語り、考古学者を目指す女子学生は「そんな簡単なことじゃないけど、見習って、頑張っていきたいなと思います」と話しています。
番組では、吉村さんの隣で支える息子のタツンドさんの姿も映されました。幼い頃に離れ離れになりましたが、25年前から現地の調整役として、ともに働いています。タツンドさんは「父を仕事のオンとオフの両面で見てきました。彼は仕事に対してとても献身的で、父は夢と情熱を追及する必要がある人のひとりだったのです。年をとるにつれてその状況をより理解できるようになりました。そして先生(父)のような人を私は先駆者だと思っています」と語りました。
吉村さんの理想の最期は明確です。「座ってるでしょ。と、弟子が『先生、こんなの見つかりました』って報告してくると、僕のところに来てコロッと死ぬのが僕の理想」。そして付け加えます。「慌てなくていいんだよ。だって、5000年近くほっとかれたんだからね。僕らがたった1年2年で上手くいくわけない。僕が生きているうちに、なんとか(墓の)入り口を見つけて」
まとめ
2025年11月26日放送の「クローズアップ現代」が映し出したのは、82歳になっても夢を諦めない考古学者の姿でした。吉村作治さんが追い求める「クフ王の墓」は、ピラミッドではなく西部墓地の空白地帯にあるという大胆な仮説のもと、発掘調査は着実に進んでいます。
「底なし」の地層、ミニチュア土器の発見、地中レーダーの反応——数々の手がかりは、この場所に何か重要なものがあることを示唆しています。20年越しで得た発掘許可、そして2年間の調査を経て、世紀の大発見の瞬間は近づいているのかもしれません。
草野仁さんが語ったように、吉村さんはエジプトの人々から深く愛され、信頼される日本人です。その功績は大エジプト博物館の開会式への招待という形でも認められました。そして何より、タイパやコスパが重視される現代において、70年間ひとつの夢を追い続ける姿勢は、私たちに大切なことを教えてくれます。
すぐに答えが出ないこともある。諦めずに挑戦し続けることの価値。そして、自分が信じた道を歩み続ける勇気——。
今回の取材中には、残念ながらクフ王の墓は見つかりませんでした。しかし調査は2026年3月末まで続きます。吉村さんは「もっと素晴らしいもの見つけるから。クフ王の墓ね」と力強く語ります。
果たして、4500年間の謎は解き明かされるのでしょうか。82歳の挑戦者が見つける答えを、世界中が注目しています。
※ 本記事は、2025年11月26日放送の「クローズアップ現代」を参照しています。




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