「戦後最長の景気拡大」と聞いても、正直まったく実感がない。そう感じている方は多いのではないでしょうか。2026年9月8日放送のクローズアップ現代では、景気拡大の実感がないのはなぜかという疑問に、「アンバランス景気」というキーワードから答えが示されました。この記事では番組の分析と現場の実情を整理し、統計上の数字と生活の感覚がこれほどズレる理由を、根っこから解きほぐしていきます。
戦後最長の景気拡大とは?74カ月でいざなみ景気を超えた事実関係
内閣府が2026年9月7日に発表した7月分の景気動向指数では、景気の現状を示す一致指数が前月比1.7ポイント上昇の120.6となりました。上昇は2カ月連続で、基調判断は「改善を示している」で据え置かれています。
この結果、2020年6月から続く景気の拡大局面は74カ月、年数にすると6年2カ月に達しました。これまで戦後最長だったのは、小泉政権下の2002年2月から2008年2月まで73カ月続いた「いざなみ景気」です。今回はこれを1カ月上回った公算が大きく、記録更新の可能性が取り沙汰されている、というのが現在地です。
ただし、まだ確定ではない点には注意が必要です。景気の「山」と「谷」を定める景気基準日付は、有識者でつくる景気動向指数研究会の議論を経て事後的に認定されるもので、正式な決定までには1年以上かかります。「戦後最長になった」ではなく「なった可能性が高い」が、いま言える正確なところです。
そしてもう一つ、決定的に大事なことがあります。拡大期間の長さは、景気の強さをまったく意味しないということです。ここが、実感との落差が生まれる出発点になっています。
「アンバランス景気」とは?小林真一郎さんが名づけた今回の景気の正体
番組に出演した三菱UFJリサーチ&コンサルティング主席研究員の小林真一郎さんは、今回の景気拡大にあえて名前をつけるなら「アンバランス景気」だと表現しました。捉えどころがない、おぼつかない。そんな感覚を言い当てた命名です。
小林さんの説明によれば、今回の局面では好材料と悪材料が混ざり合ったまま続いています。好材料は世界的なAIブーム、悪材料は物価高。この二つを天秤にかけると、わずかに好材料のほうが重い。だから統計上は回復と判定されます。しかし両者が拮抗しているぶん、回復の力強さがどうしても失われてしまう。これが「アンバランス」の中身です。
この命名は、かなり本質を突いていると感じました。私たちはつい「景気は良いのか悪いのか」という二択で考えてしまいます。けれど実際には、良い要素と悪い要素が同時に、しかも別々の場所で進行している。多くの人が抱いてきた「良いとも悪いとも言えない、もやもやした感じ」は錯覚でも鈍感さでもなく、経済の実態をかなり正確に写し取っていたことになります。
景気拡大の実感がないのはなぜ?成長率1.3%と消費者の不安
番組では過去の景気拡大との比較も示されました。番組で紹介された小林さんの試算によれば、実質GDP成長率は年率で、高度経済成長期の「いざなぎ景気」が11.5%、「バブル景気」が5.3%、いざなみ景気が1.6%。そして今回は、コロナ禍からの回復分を除くと1.3%程度にとどまります。期間は最も長いのに、成長のスピードは歴代で最も遅いのです。
小林さんが読み解きの鍵として挙げたのが「消費者の不安」でした。
一つ目は物価です。番組で示されたデータでは、消費者が予想する1年後の物価上昇率は足元で13%程度に達する一方、実態は1.5%程度。この大きな乖離そのものが、消費マインドを冷やす要因になっているといいます。
二つ目は賃上げです。企業の利益などに占める人件費の割合を見ると、中小企業は7割程度の水準に達しており、賃上げの余力がほとんど残っていません。対して大企業は余力が拡大傾向にあります。実際の賃金は順調に増えてきたものの、中小企業で働く人にとって「来年も上がり続ける」とは信じにくい。その心細さが、財布の紐を固くしているわけです。
好況側の現場|日東紡のガラスクロスとアルムの年収2倍が示す半導体特需
一方で、景気拡大を実感している現場も確かに存在します。
福島市に生産拠点を置く素材メーカー・日東紡がその一つです。主力はガラス繊維を布状にした素材で、番組によれば世界シェアの9割を占めています。半導体の基板に使われ、発する熱を逃がして変形を防ぐという重要な役割を担う、いわば縁の下の主役です。従業員の方が「ペラッペラの1枚の紙だが、これがないと最先端の生成AIも動かない」と語っていたのが印象的でした。
生成AIの普及で需要は爆発的に高まり、番組によれば営業利益は5年で3.5倍、株価は5倍に。2026年4月に社長に就任した林寿信さんは「創業以来の大チャンス」と表現していました。同社は福島事業センターに約150億円を投じて生産能力を大幅に引き上げる計画を進めており、生産開始は2027年1〜3月を予定しています。それでも「3倍に増産してもまだ足りない」という声が出るほどです。
金沢市のAI関連企業アルムでは、待遇に直接跳ね返っていました。独自開発のAIを搭載した切削加工機が注目され、番組によれば売り上げは3年で10倍以上、社員の年収はおよそ2倍に。昇給通知を二度見した、祖母への仕送りを増やしたら電話がかかってきた——そうした話が並びます。平山京幸CEOは、還元しなければ人材が流出してしまうとも語っていました。
苦境側の現場|倒産増加と価格転嫁の壁が生む日本経済の二極化
同じ国の、同じ時期の話とは思えない光景も映し出されます。
企業の倒産件数は2021年から増加傾向にあり、番組によれば東日本大震災の翌年、2012年の水準に迫るペースです。帝国データバンク情報統括部の篠塚課長は、原材料価格の高騰に加え、人件費、エネルギーコスト、輸送費の上昇で利益が取れなくなっていると説明しています。
象徴的だったのが、この夏に閉店を決めた大阪市中心部の居酒屋です。店主の池田さんが見せた米の仕入れ価格は、5年前の最安値1万円に対して現在は2万円。食材の仕入れ全体もコロナ前比でおよそ3割上がり、地価高騰を受けて家賃も約25%上昇していました。
それでもこの2年間、価格を上げられずにいました。値上げのたびに客足が遠のき、多くのお客さんが物価高に不安を抱えていることを痛感したからです。「安く済ませる、我慢する。その声に応えたかった」という言葉と、「100円上げるのにも勇気がいる」という一言に、この問題の重さが凝縮されていました。
番組によれば、企業への調査で価格転嫁率の平均は40%を下回り、規模が小さい企業ほど負担が重くなる傾向が出ています。好況の波はコストとして中小企業に降りかかり、恩恵は上流でとどまる。日本経済の二極化とは、こういう構造のことなのだと思います。
円安下の日本経済で何が起きているか|製造業の国内回帰が進まない現実
今後を読み解く鍵の一つが為替です。今回の景気拡大が始まった2020年6月初めは1ドル107円台でしたが、2026年7月には164円に迫り、39年8カ月ぶりの円安水準となりました。
円安は輸入コストを押し上げる一方、輸出には有利に働きます。海外に出ていた製造業が国内に戻り、景気を押し上げる——そんな期待もありました。
ところが現実は違いました。番組が取材したネジの金型などを製造・輸出する東京鋲螺工機(埼玉県新座市)は、円高だった2010年代にタイへ製造拠点を移しましたが、円安に大きく振れた今もタイでの投資強化の方針を変えていません。高味寿光社長は2027年前半の投資を明言していました。
理由は二つ。円安のもとでは原材料をタイで仕入れるほうがコストを抑えられること。そして人口減少が進む日本では、今後ますます労働力の確保が難しくなると見ていることです。
つまり円安のメリットを享受するには、そもそも国内に人と設備がなければならない。その前提条件のほうが先に崩れていたというのが、今回浮かび上がった現実でした。教科書どおりに為替が効かなくなっている、と言い換えてもいいかもしれません。なお7月末には政府・日銀による円買い介入も行われましたが、企業が拠点をどこに置くかという判断は、そうした短期の振れではもう動かない段階に入っているようです。
成長戦略370兆円は起爆剤になるか|17分野投資の可能性と過去の教訓
こうした状況を打開するため、国が肝いりで進めているのが成長戦略です。2026年7月に閣議決定された日本成長戦略では、成長が期待される17分野を選び、2040年度までに官民合わせて370兆円を超える投資を行うとしています。
期待の一つがロボットにAIを載せる「フィジカルAI」です。産業用ロボットメーカーの安川電機では、形も硬さも一粒ずつ違うためロボット化が難しいとされてきたイチゴのパック詰めを、AIによる認識で実現していました。同社は川崎重工、ファナックと3社でロボットを設置し、共通の手法でデータを集める取り組みも進めています。AIロボティクス統括部長の久保田由美恵さんは、これまでにないパートナーシップが増えれば加速度的に進むだろうと語っていました。7月には経済産業省がイベントを開き、エヌビディア創業者のジェンスン・ファンCEOがフィジカルAIは日本で作られるべきだと述べ、支援を取り付けています。
ただ、政府主導の産業政策には苦い前例もあります。国内企業の半導体部門を統合したエルピーダメモリは2012年に経営破綻し、官民ファンドが出資したジャパンディスプレイは長く業績が低迷。政府がおよそ9割を出資したクールジャパン機構は、2026年3月期決算で累積赤字が540億円に膨らみ、廃止を含めた検討が進められています。
国の委員会で産業政策を検証してきた慶應義塾大学教授の土居丈朗さんは、官と民の双方が「相手が責任を取ってくれるはず」と考えた結果、ある種の無責任体制が生じたと指摘します。今回は政府が進捗を管理し、挽回が難しいと判断したら直ちに損失を最小限に抑える路線変更をすべきだ、という提言でした。
小林さんも、投資で供給能力を強化する方針自体は正しいとしたうえで、財政悪化、金利上昇による設備投資や住宅購入の抑制、さらなる円安と物価高といった副作用のリスクを挙げ、今後見直しを迫られる可能性もあるとの見方を示しています。
まとめ
戦後最長の景気拡大という見出しの裏側には、成長率1.3%程度という物足りない実態と、好況と苦境がくっきり分かれた二極化がありました。実感がないのは当然だったのです。
番組の最後、小林さんが挙げた処方箋は印象的でした。安全、安心。それに加えて必要なのが「安定」だというのです。物価が上がり続ける、円安が止まらない、地政学リスクがある、社会保障の先行きが見えない。不安定な材料が多すぎると、せっかく賃金が増えても消費に回らない。安定こそが好景気の処方箋だ、という指摘でした。
たしかに、私たちが本当に欲しいのは「景気が良い」という統計上の判定ではなく、来年も再来年も見通しが立つという感覚なのだと思います。数字が最長記録を更新しても暮らしが変わらないのだとすれば、目指すべきは記録の長さではなく、実感の中身のほうです。その意味で、いまの「アンバランス」をどちらに傾けていくのかが、これからの日本経済の分かれ道になりそうです。
※ 本記事は、2026年9月8日放送のNHK「クローズアップ現代」を参照しています。




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