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【カンブリア宮殿】山本山・山本奈未が語る「守らない伝統」玉露改革

【カンブリア宮殿】山本山・山本奈未が語る「守らない伝統」玉露改革 cambria-yamamotoyama-gyokuro
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「上から読んでも山本山」のCMでおなじみのあの老舗が、いま何をしているかご存じでしょうか。2026年7月23日放送のカンブリア宮殿は、創業336年の山本山と、11代目・山本奈未社長に迫りました。この記事では、放送で語られた玉露改革の中身と、「伝統は守るものではない」という社長の言葉の真意を整理します。読み終える頃には、老舗が生き残るための条件が見えてくるはずです。

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カンブリア宮殿「山本山」放送回の内容をまとめて解説

2026年7月23日放送のカンブリア宮殿が取り上げたのは、東京・日本橋の老舗「山本山」でした。MCは作家の金原ひとみさんと、クリエイターのヒャダインさん。ゲストは同社11代目当主の山本奈未社長です。

放送の軸になったのは、大きく3つでした。1つ目は、海苔の会社という印象が強い山本山の祖業が、実はお茶だったという事実。2つ目は、贈答文化の縮小という逆風のなかで進む、日本橋の店舗の「体験型」への転換。そして3つ目が、玉露をハーブと掛け合わせた新商品や、木箱に入れ替えて売上を伸ばしたのりせんべいといった、令和流のアレンジです。

背景にあるのは、世界的な抹茶ブームです。財務省の貿易統計をもとにした集計では、2025年の緑茶の輸出額は721億円と、6年連続で過去最高を更新しました。ところが国内では価格が高騰し、「日本茶離れ」も指摘されています。追い風と向かい風が同時に吹くなかで、老舗はどう舵を切るのか。そこが今回の見どころでした。

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山本奈未社長とは?山本山11代目・初の女性当主の経歴

山本奈未社長は、300年以上続く山本山で初の女性当主です。2023年に社長へ就任しました。

山本奈未

山本山11代目当主の山本奈未社長                                          (引用:「カンブリア宮殿」より)

人生の転機になったのは、子どもの頃に参加したアメリカのサマーキャンプだったと語っています。親のいない環境でのびのびと過ごした経験が忘れられず、その後は世界各国の学生が集まるアメリカの大学へ進学しました。

ところが現地では、日本で誰もが知る「山本山」を誰も知りません。お茶と言えばインドの人はチャイを、中国の人は中国茶を思い浮かべる。日本茶とは何なのかというところから、自分の言葉で説明する必要がありました。「私の家は300年以上、日本茶の仕事をしている」と伝えると、返ってくるのは「ワオ!」の連続。この経験が、家業への誇りとストーリーを語ることの重要性を教えてくれたそうです。

卒業後は山本山に入社し、海外事業を担当。アメリカ法人の代表も務め、現地で出会ったアメリカ人男性と結婚しました。現在は二児の母でもあります。仕事と子育ての両立を問われた際の「基本的に全てはできないので、全てやらない勇気をもらった」という答えは、この放送でもっとも実感のこもった言葉のひとつでした。

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山本山の祖業は海苔ではなくお茶|元禄3年創業と玉露誕生の物語

山本山の創業は元禄3年、1690年。五代将軍・徳川綱吉の時代です。京都・宇治田原から江戸へ移り、日本橋に店を構えてお茶を商ったのが始まりでした。

ここで欠かせないのが、宇治田原での近所づきあいだった永谷家の存在です。永谷宗円が生み出した青製煎茶製法によるお茶を、江戸で最初に売り出したのが初代・山本嘉兵衛でした。当時の江戸で飲まれていたお茶は赤黒く味も薄いものでしたから、鮮やかな緑色の煎茶は衝撃だったはずです。これが大ヒットし、山本山は茶商として名を広めます。お茶漬け海苔の永谷園と山本山が、創業時から縁で結ばれているというのは、なかなか知られていない話ではないでしょうか。

そして1835年、六代目が高級茶の代名詞となる玉露を開発します。玉露は収穫前に覆いをかけて日光を遮ることで、苦味が減り旨味が濃くなるお茶。手間がかかるぶん価格も上がり、番組で紹介された山本山最高級の「天下一」は100グラムで10,800円です。

さらに1963年には、国内で初めて日本茶のティーバッグを発売しました。急須がなくてもお茶を楽しめるようにした発想は、後述する新ブランドにもそのまま流れ込んでいます。

意外なことに、海苔を扱い始めたのは戦後の1947年から。お茶が配給制になって売上が立たなくなり、山本社長の祖父にあたる九代目が有明の海苔の旨さに惚れ込んで東京で売り出したのが始まりでした。お茶は春、海苔は冬と旬がずれるため在庫管理がしやすく、湿気を嫌う保存方法も共通している。相性の良さは偶然ではなかったわけです。

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山本奈未社長が立つ「曲がり角」|贈答需要の減少と日本茶離れ

創業300年を超えた山本山は今、明確な曲がり角に立たされています。

最大の逆風は、お中元やお歳暮といった儀礼的な贈答品市場の縮小です。この需要に支えられてきた山本山にとっては痛手が大きく、百貨店での売り場も縮小を余儀なくされました。放送では、府中からわざわざ日本橋まで足を運ぶ女性客が「どこのデパートにもあったのに、ほとんど撤退してしまった」と語る場面がありました。

さらに、お茶と言えばペットボトルという人が増え、そもそも急須を持っていない家庭も珍しくありません。街頭で若い世代に山本山を知っているか尋ねると、「初めて聞きました」という反応が返ってきます。あのCMを知る世代からすると衝撃的ですが、これが現実です。

それでも山本社長は、ペットボトル市場には参入しないと明言しました。ペットボトルに求められるのは喉を潤す爽快感であって、お茶本来の旨味や甘みではないから、という理由です。一方で、ギフト文化そのものが消えたわけではないとも語ります。手土産として持っていく「カジュアルギフト」の需要はまだ十分にある。撤退ではなく、需要のある場所へ商品の形を寄せていく判断です。逆に、価格で徹底的に戦う道を選んだ企業もあります。[オーケー二宮涼太郎社長が語る「安さの理由」]と読み比べると、戦い方の違いがはっきり見えてきます。

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玉露の飲み比べは4つの温度で別物に|日本橋の体験型戦略

こうしたなかで打った手が、8年前にあたる2018年、日本橋の中央通り沿いにオープンした旗艦店「山本山 ふじヱ茶房」です。海苔とお茶を売るだけの売り場から、それらを使ったメニューで魅力を体感してもらう場へと、役割そのものを変えました。

看板メニューのひとつが「膳、にほんばし」(2,800円)。ご飯と焼き海苔を交互に重ね、だし醤油とちりめんじゃこを合わせ、さらにバラ干し海苔をたっぷり乗せた、ここでしか味わえない海苔の海苔弁です。

そしてお茶で挑んだのが、4つの温度で淹れ分ける玉露の飲み比べでした。一杯目は氷が溶ける水だけで一晩かけて抽出する氷出しで、テアニンによる甘みを引き出します。二杯目は40度の低温で、玉露の旨味を。三杯目は70度で、甘み・渋み・旨味のバランスを。最後は香りを楽しむ一杯で、シソやユズなど季節の食材と一緒に90度で淹れ、氷で冷やして仕上げます。淹れ終わった茶葉まで味わい尽くす構成です。

スタジオで氷出しを口にした金原さんとヒャダインさんは「普通のお茶とちょっと違う」「お出汁ですよね、旨味がすごい」と驚き、続く40度の一杯には「ここまで違うと本当に別物」と声を上げました。同じ茶葉が温度だけでここまで変わる。この体験こそが、パッケージ商品では絶対に運べない価値だと感じます。
体験そのものを商品にするという発想は、[ロイヤルホストの朝食ビュッフェが成り立つ仕組み]にも通じるものがあります。

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玉露ハーブティーとのりせんべい|山本山の令和アレンジ2本柱

もうひとつの柱が、商品そのもののアップデートです。

2026年、山本山は玉露にハーブやスパイスを掛け合わせた新ブランドを立ち上げました。ブランド名は「YMY」。「HAJIMARU」「TOTONOU」「MUKIAU」「YASURAGU」「SUSUMU」という5種類がラインナップされ、産地や製法ではなく「今の気分」で選べる設計になっています。集中したいときの「MUKIAU」にはショウガやレモングラス、整えたいときの「TOTONOU」にはローズヒップやローズレッド、柿の葉、ルイボスが合わせられています。

山本社長は「服を選ぶような形で、今の気分で選んでほしい」と語りました。産地名や製法名で選ぶという日本茶の作法そのものが、若い世代にとっての参入障壁になっていた。その障壁を外した設計です。選び方の入口を増やして新しい客層を取りにいくという発想は、[モスバーガーの「価格のグラデーション化」戦略]とも重なります。

もう一方の「のりせんべい」は、以前からあった商品のリニューアル例です。山本山最高級の海苔で薄いせんべいを挟んだお菓子で、パッケージを高級感のある木箱に変えたところ、小粋な手土産として人気が高まりました。製造を担うのは、1910年に東京・両国で創業した東あられ本鋪。せんべいが薄くて焦げやすいため、ラインではなく手作業で焼き、一枚ずつ人の手で海苔を巻いています。同社の小林正典会長は、リニューアル後の売上が従来比で5倍以上になったと明かしました。木箱に入れるという発想は自分たちにはゼロだった、という言葉が印象的です。

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「伝統は守るものではない」山本奈未社長の言葉が刺さる理由

放送でもっとも重い一言は、これでした。

伝統は、基本的に守るものではなく、変化を続けてった結果なんですね

保守的になりがちではないかと問われた山本社長は、伝統を守った瞬間に続かなくなってしまうのではないか、という恐れのほうが強いと語りました。

この言葉が刺さるのは、私たちが「伝統を守る」という表現を、無意識に「変えないこと」と同じ意味で使ってきたからだと思います。しかし山本山の330年余りを並べてみると、そこにあるのは変更の連続です。江戸で青製煎茶を売り、玉露を発明し、戦後に海苔へ手を伸ばし、国内で初めてティーバッグを出し、いまは玉露をハーブと組ませている。守られてきたのは商品ではなく、「新しいものが好き」という江戸商人の気質のほうでした。

もうひとつ見逃せないのが、変えていない部分の存在です。産地ごとの茶葉をブレンドする「合組」も、海苔の仕入れ先を決めることも、当主にしかできない仕事として残されています。山本社長は味を判断するため、できるだけ朝にお茶を飲むようにしているそうです。日本橋の山王祭で神輿を出迎える役目も、代々の当主が担ってきました。

変えるものと変えないものが、はっきり分かれている。この線引きの明快さこそが、老舗を老舗たらしめている核心ではないでしょうか。「全てやらない勇気」という子育ての話も、実は同じ構造をしています。

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まとめ

2026年7月23日放送のカンブリア宮殿は、創業336年の山本山と11代目・山本奈未社長を通して、老舗の生存戦略を描いた回でした。

  • 山本山の祖業はお茶で、1835年に六代目が玉露を開発。海苔は戦後1947年からの事業
  • 贈答需要の縮小という逆風に対し、日本橋の旗艦店を体験型へ転換。玉露は4つの温度で飲み比べる
  • 新ブランド「YMY」の玉露ハーブティーと、木箱化で売上5倍以上になったのりせんべいが令和流アレンジの両輪
  • 「伝統は守るものではなく、変化を続けてきた結果」という言葉が放送全体を貫いていた

ペットボトルには参入しない。けれど気分で選ぶハーブティーは出す。この一見矛盾した判断の裏側には、自社が何を売っているのかという明確な自覚がありました。急須を持たない人が増えた時代に、あえて時間をかけて待つお茶を提案する。その逆張りが効くかどうかは、これからの数年で答えが出るはずです。

※ 本記事は、2026年7月23日放送(テレビ東京系)の人気番組「カンブリア宮殿」を参照しています。
※ 山本山の公式サイトはこちら

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